12月まるまる通してクリスマスという勢いで日本列島を吹き抜け、吹きすさぶクリスマスムード。
クリス・ハートに一体なにがあったのか?!も気になりますが、クリスマス気分を盛り上げるべく、
クリスマスにまつわる映画でも観ませんか。
以下に、5本紹介します。
バッドサンタ (2003)
予告編
ゴーストワールド(2001)のテリーツワイゴフ監督、ビリーボブソーントン主演のクリスマス映画。監督がテリーツワイゴフで、コーエン兄弟も関わっているということで、一筋縄ではいかないクリスマス映画です。
毎年のようにデパートのサンタの仕事をして、クリスマスが終わったサンタ営業の最終日にデパートのものをかっさらう強盗を繰り返し、仕事中も酒とアブノーマルなセックスを繰り返すという怠惰きわまりないビリーボブソーントン演じる悪党が主人公。そいつがある日デパートでのサンタ営業中に出会った、親が刑務所入ってしまっていて残された家で半分呆けてしまっているおばあさんと暮らすデブのガキ、サーマン・マーマンとの交流を通じて人間性を取り戻していく話。
サンタの営業しながら悪事を働くビリーボブソーントンは本当に共感の余地がなく救いがないほどの悪党で、強盗して悪気もないア○ルセッ○スとアルコール中毒のサンタ、まさに”バッドサンタ”。しかしサーマン・マーマンの恵まれない境遇に自分を重ね思うところがあったのか、前半の猥雑さから一転、ハートウォーミングな結末へと話は展開していきます。悪党が純粋な精神と交流を通じて改心していく。
立派なことをしなさそうな人が立派なことすると、何倍にもそれがよく見えるという効果があります。日常、恋人もおらず友達からも蔑まれているような人にこのバッドサンタをクリスマスに観るようにおすすめしてあげてください。
グリーンインフェルノ(2013)
予告編
数々の極悪な映画を撮っているイーライロス監督による、食人族を描いた、またも極悪な映画。2014年にイーライロスと結婚したロレンツァ・イッツォも壮絶な体の張りようを見せていて、自分の妻にここまでさせるか、という驚愕のシーンの連続です。
人が人を食う描写のグロテスクさは、好き嫌いあると思いますが、シンプルに楽しめる塩梅になっていると思います。食人映画は多々あり、70年代あたりに流行ったようですが、私はこれがはじめて観た食人映画です。食人デビュー。
正義を振りかざしてアマゾンの奥地へと侵略していく若者の野蛮さ、人を食うという風習の野蛮さ、どちらが野蛮なのだろうか。この映画は、野蛮さとはなにか考えさせます。「食人」という行為を見せつけられることで突き動かされるなにかがある。食べ方もしっかりしている。しっかり解体して、塩をつけて焼いている。おいしそうにみんなでわけて食べている。微笑ましくもある。
じっさいにいまアマゾンでひとをたべる民族などいない。しかし、文明人の立場から、自分たちとちがう風習にたいして野蛮だと決めつける態度それ自体が野蛮なのではないかという問いかけを、ひとをたべる描写を通して痛快に伝えてくるこの映画はとても爽快です。
クリスマスに、ケンタッキーのフライドチキンを食べながら観たい映画です。
ダンボ(1941)
予告編
<https://www.youtube.com/watch?v=4hlowTTSyXo>*
言わずと知れたディズニーの名作、ダンボです。
まずこのアメリカでの公開年に驚く。日本が竹槍で鍋を銃弾にして頑張っていた一方で、アメリカではダンボを撮っている余裕っぷりなのだから、そりゃ戦争も負けるわという。ちなみに日本公開は1954年だそう。
このダンボ、タイトルでもあり主人公の名前でもある「ダンボ」は、日本語であえていうなら「バカ夫」であると、高橋ヨシキ著「暗黒ディズニー入門」(すごくおもしろい。ぜひ買ってクリスマスに読んでください。)に書いてあります。
Dumbo は英語のDumbにジャンボの語尾oをつけた悪意に満ちたあだ名です” (暗黒ディズニー入門 p92 )
ジャンボというのは、ダンボのお母さんの名前だ。
ダンボは、奇形と差別の物語なのだ、という。
ダンボは、大きな耳の像の子供が、自分のハンデを強みに変えてサクセスする話です。そう、コンプレックスこそが強みになる。映画のクライマックスで、ダンボによくしてくれるネズミが言う、自分の可能性を閉じ込めているのは自分の気持ちなんだ、と。ダンボは、自分の気持ちをおとしめていたそのコンプレックスそのものによって、結果的に“大きく飛躍する”ことになります。人と違うことはハンデではなく、強みになる。弱いものを叩く奴らは醜い。ダンボは可愛い。そんな大事なことに気づかされ、胸が締め付けられる映画なんです。いわずもがな、最高のピンクの像トリップ場面も見逃せない。
クリスマスにディズニー映画を観るなら、やはりダンボでしょう。恋人がクリスマスに一緒にダンボを観ることに不服を申し立てるのなら、別れを切り出すいいタイミングだと思いましょう。
魔界転生(1981)
予告編
山田風太郎原作を、深作欣二監督が手がけた映画。2003年に窪塚洋介が出ている版もあるみたいですがよく知らないし観たことないのであまり言及はしません。この81年、深作欣二監督版の魔界転生はキャストが壮絶です。緒形拳、沢田研二、千葉真一、若山富三郎、真田広之そして室田日出男。魔界転生というファンタスティックなストーリーの作品にこれほど硬派な実力派が集ったのも、深作欣二監督だったからなのでしょう。
魔界転生は、江戸幕府のキリシタン弾圧で大勢の仲間とともに虐殺された天草四郎が、その怨念の深さから再度蘇り(魔界転生し)、魔界的スーパーパワーで復讐をする話です。 沢田研二演じる天草四郎の役のハマりっぷりが素晴らしい。いい声。
復讐のための仲間集めとして、緒形拳演じる宮本武蔵や、室田日出男演じる宝蔵院胤舜を桃太郎が鬼退治の子分を集めるが如くスカウトして魔界転生させていくくだりにワクワクさせられます。強い善人が魔の手に堕ちるのには、ドラゴンボールの魔人ブー編でベジータが額にMつけた時もそうでしたが、胸が騒ぐ。
なぜこれをクリスマス映画として選んだのかと問われれば、クリスマスとキリシタンの繋がりという安易な理由ももちろんありますが、魔界転生して煩悩の権化となり暴れまわる室田日出男のその姿に、恋人のいないクリスマスを悶々と過ごす幾多の男女を思ったからに他なりません。クリスマスなんてくだらないだなんてつまらないこと言わずに、煩悩のままに暴れてみるのがいい。雨が夜更けすぎに雪へと変わるのならば、こじらせた自意識は夜更けすぎに暴れる煩悩へと変えてしまおう。今年の冬は、みんなで魔界転生。
沈黙(2016)
予告編
遠藤周作原作を、マーティンスコセッシが手がけた映画。アンドリューガーフィールド、アダムドライバー、リーアムニーソン、そして塚本晋也、窪塚洋介、イッセー尾形、浅野忠信、おまけに加瀬亮まで出てます。
17世紀の江戸幕府のキリシタン弾圧下でのお話ですが、布教の過程の中で生じる受け手と布教する側の解釈のズレによる摩擦、善意の押し付けによる軋轢、よかれと思ってやったのにこんなことになるなんて!いや、そのよかれが一番迷惑なんだよ!な感じは、昨今の宗教をめぐる様々な誤解、愚行を思い起こさせます。なんでここまでしてこんなことになるのだ、神がいるとしたらあまりにひどいじゃん!!そんな不条理の先にある、一つの真理のようなものが終盤示される、祈りのような映画。
奉行主のイッセー尾形、信仰に篤いキリシタンの塚本晋也、奉行の通訳の浅野忠信、保身のために司祭を売ったり踏み絵に応じてはそれでも神の助けを乞うて告悔するキチジロー役の窪塚洋介。そして、日本映画では絶対にこんな役でこんな最後は遂げないであろうことが最高すぎる加瀬亮。みな生き生きと役者魂込めた演技をしていて、リーアムニーソンらのすごい役者に負けずというか勝っているくらいの印象です。
この映画は、長い。3時間くらいあります。そして、重い。痛々しい描写もあります。クリスマスとの共通点は、キリシタンくらいです。しかし、記号化されたペラペラな人物たちが記号化されたクリスマスを謳歌するクリスマスドラマや映画じゃ泣けないし笑えないむしろ悲しい、そんな私のようなめんどくさい人がクリスマスになにか観るとしたらこんな作品になります。
とても偏った5本の選出となりましたが、なんかおもしろそうだから観てみたい、その映画私もすごく好き、こんなクリスマス映画もあるヨ!、などなど、コメントお待ちしてます。
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