文化系のためのスポーツ読み物・映画とか② 〜普通で満足できます?〜

だけど、スポーツやるって難しいですよね。日中は仕事があるし、残業があることも多いだろうし、それが終わったら家で寝たいし、ネットしたいし。普通の大人が、日常生活で何かスポーツやるって難しいですね。しかも、それを継続するってほとんど至難のわざでしょ。

特に僕みたいな引きこもり、よく言えば文化系、インドア派は、外に出てスポーツするなんて縁遠いことだと考えてました。だれが好き好んでキツイ思いして体動かすんだってね。

 

でも、文化系のある種の人たちは、スポーツにのめりこむ傾向があります。三島由紀夫のボディビルとか、マイルス・デイビスのボクシングとか。存命の方だと、ジャズ・トランぺッターの近藤等則さんなんか、新体道という武道をかなり本格的にやっていたと読んだことがあります。これみると、サッカーみたいなゲーム性の高いものではなく、直接体を鍛える要素の高いものであり、かつ一人で出来るものですね。これを文化系男子の肉体的コンプレックスの裏返しであるとか、ナルシシズムの現れであるとか考えることは簡単ですがね。

 

『果てなき渇望 ~ボディビルに憑かれた人々~ 』(著・増田晶文)という本があります。ボディビルについて書いたノンフィクションです。この本には、ボディビルに淫しすぎたために、日常生活に支障をきたしてしまう人々が書かれています。

 

  「基準は生理ですよ。生理があるうちは、まだ甘い。生理が止まったということは、私の身体から女性に必要な脂肪がなくなったということなの。言い換えれば、私は女でなくなることでコンテストで戦う身体を手に入れるわけ。」(「果てなき渇望」より)

 

女性ならば生理が止まるは当たり前で、大会直前に急激なダイエットのために死にかける人とか、様々な人が描かれています。マッスル北村という有名なボディビルダーは、その急激なダイエットのために、低血糖で死亡しています。他にもトレーニングが原因で片目を失明する人とか。

 

副題にもあるように、まさに憑かれた人たちが描かれているこの作品ですが、この本の「禁止薬物」という章に、Aというボディビルダーが出てきます。彼はラグビー部に在籍、かつ成績優秀で、文学や哲学書を好んだという高校時代を過ごし、大学受験で日本最難関の大学を受験します。しかし、一浪しても合格することはかなわず、滑り止めの大学へと進学します。空虚な気持ちのまま、普通の大学生活になじめなかった彼は、ボディビルへとのめりこんでいきます。そして、すぐに頭角を現し、学生のボディビル大会で入賞していきます。

 

勉強と筋力トレーニングって似てますよね。やればやっただけ成果が返ってくるものでしょ。家柄や容姿といった自分ではどうしようもないものに囲まれている僕たちが、自分の努力しだいでどうにかできる数少ないものの一つだと思います。これが同じスポーツっていっても、サッカー、野球のようなスキル要素の高い種目だと、先天的な才能とかがもっと問題になりますが、筋トレは、ある程度正しいやり方でやれば、結果は必ずついてきます。勉強も先天的要素より後天的要素が多いと思います。

 

「垂直上昇志向というか、どれだけ他人より優れた力を持っているか、重いものを挙げられるかに興味が集中しました。数字というのは便利なもので、大きな励みになるんです。偏差値を競う受験勉強と同じですね。思い返せば、小さな頃から力に対する信仰のようなものがありました。」同上

 

大学卒業後、一流企業に入社したAですが、数年で退社します。ボディビルのトレーニングと仕事を両立できなくなり、ボディビルを選択したのです。一流企業社員という安定した身分を捨て、ボディビル中心の人生を選んだ彼の前にステロイドという存在が現れます。彼はこう語ります。

 

  「自分はただひたすらに大きくなりたい。天から与えられた身体を、自分の意志の力で変えていく。筋肉を一センチ肥大させることで自分が神に近づけるわけではありませんが、少なくとも自分の肉体という小宇宙を創造することができる。たとえ後遺症が襲ってきてもかまわない。どんな手段を使っても、限りなく肥大した筋肉を手に入れたい。ただそれだけなんです。」同上

 

そして、芥川龍之介の『地獄変』の天才絵師を引合いにだし、このように語ります。

 

『「悪魔的と言われても、自分は自分のやりかたで目標を達成しようと思いました」 ~中略~ 自分は目的のためなら、あえて手段を択ばないという道を選んだ。』同上

 

目的のためなら手段を択ばない。よく言われるフレーズですが、これを実際に行うのは難しいです。ステロイド等の不正だけで勝てるわけでないし、不正が発覚した時の代償は非常に大きい。

 

 

この目的のためなら手段を択ばないということを恐らく現代スポーツ界において最も華麗に実践し、破たんしていった男ランス・アームストロングについて書いた『シークレット・レース ~ツール・ド・フランスの知られざる内幕』(著 タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル)という本があります。ツール・ド・フランスっていうのは有名な自転車競技ですよね。

 

ツール・ド・フランスというのは、フランス国内を中心として3週間ほどの期間をかけて競う自転車競技です。この長い期間で争う自転車レースでは、個々の選手が所属しているチームがそれぞれ戦略を立てます。チーム内の誰を勝たせるために、他の選手が前を走って風よけになるとかですね。この競技は、個人スポーツの側面はもちろん、チームスポーツの側面も大きいのです。

 

ランスは、20代半ばでがんに侵され、選手生命の危機に陥りましたが、奇跡的なカムバックを果たし、その後ツール・ド・フランスで7連覇しました。しかし、ドーピング使用が発覚し、その7連覇は取り消され、自転車界から永久追放されました。この本は、そのランスのチームメイトであったタイラー・ハミルトンという選手の告白をもとに書いてあります。

 

この本の中で、自転車競技界でドーピング使用というものがでは当たり前になっている現状が描かれます。ツール・ド・フランスで上位に入賞するためは、ドーピングが不可欠であるという現状です。

 

「ランスがレース中に好んで使った台詞は、『普通じゃない・not normal』だった。驚くほど速い選手がいると、ランスは決まってこの台詞を口にした。 ~中略~ エネルギーを使い果たしたはずの選手が、単独の逃げを試み、そのままビッグレースを制する ―普通じゃない―」(「シークレット・レース」より)

 

ツール・ド・フランスに出場するようなトップ選手になると、身体的、技術的な差、自転車等のハード面の差は少ないでしょう。しかし、普通の選手の感覚からはありえないようなとびぬけたパフォーマンスをみせる選手がいる。そこには、ドーピングの存在があったのです。

 

各チームは、組織的なドーピング体制を組みます。例えば、ドーピング専門の医師をチームドクターとして雇い、ヘマトクリット値を、陰性ギリギリに保つとか、常時薬物をもっていると、抜き打ち検査時に危険なので、薬物を使用する直前にバイクで届けてもらうとか。これは、個人の選手レベルでは、行えるものではありません。最初からドーピングありきでチームを組織し、大会に臨まないと行えないものばかりです。

 

この本では、薬物を規制すべき立場の自転車協会、薬物監視団体も、ドーピングが蔓延する状況を黙殺していたことも描かれています。ランスは自転車界のヒーローに仕立てられた半面、ドーピング撲滅のための見せしめとして追及され裁かれたという面が確かにあります。

 

もちろん、ドーピングをしたからって、必ず強くなれるわけではない。なにも努力しない人を、いきなり勝者にしてしまう魔法の薬でなないのです。何かにとりつかれ、常軌を逸した努力により自分を追い込んだ果てに見えてくる深淵があり、それを覗き込んだ者のみが知りえる感覚があるのかもしれません。

 

この文章を書いている最中に、カヌー日本代表選手が他の選手の水筒に禁止薬物を混入させたというニュースが飛び込んできました。彼は大きい代償を払うことになるでしょう。しかし、発覚したら大きな代償を払うことになるとわかっていても、彼は手に入れたいものがあったのです。オリンピック出場で得られる愉悦や称賛は、人間から正常な判断を奪ってしまうほどのものなのでしょうか。

 

私は、薬物に手を出してまで、何かに耽溺する人がうらやましいです。仕事も趣味も中途半端にしかできない人がほとんどのこの世の中で、そこまで逸脱してのめりこめるのは本当に難しい。私は、過ちを犯したカヌー日本代表選手や、ドーピングを行うボディビルダーたちの気持ちがわかるような気がします。

 

人間がある種の狂気を宿すのも、犯罪を犯すのも、才能や努力が必要なんだと、この歳になって実感しています。卓球の水谷準選手は、「強い人は、チャンピオンというのは『異常者』だ」と自著で語っています。確かに、過度なトレーニングや薬物によって、健康を害してまで自分を追い込むのは、異常者といってもいいでしょう。異常にならないと見えてこない世界がそこにあるのでしょう。

 

これが平凡な日常に生きざるを得ない傍観者の勝手な感想です。

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