新文芸座オールナイトプログラム「石井輝男ワンダーナイト」へ行ってきた。

土曜日の夜をどう過ごすかは、現代人が抱える悩みの一つでもある。手付かずの夜が目の前に広がっている状況で、いくつもの可能性の中からどれを選び、素晴らしい週末にするか。ついつい、コスパのよい、確実に楽しめるものを選びがちだ。それも悪くない。むしろ正しい。というか、ロマンスのチャンスはウィークエンドの夜の街に光輝くダイヤの原石。デジタル時代の独身アラサー、寄せては返す波のような群衆に飲まれ、自分を見失いいつも気づけばレイニーブルー。

 

かつてタモリは言った「人生は後悔するためにすごすものである。どんな選択をしてもどっかで後悔するんだよ」と。また、「バカなものにある、開放的というか、日常からはみでた突飛性という得体の知れない力を楽しむ、これは知性がなければできない。どんなものでも面白がり、どんなものでも楽しめる、これには知性が絶対必要」とも。(戸部田誠著 タモリ学より)

 

そんなわけで、石井輝男先生の生み出した映画を観て根性叩き直してもらうべく、1月20日土曜の夜、池袋新文芸坐で行われたオールナイト上映イベント、「日本カルト映画入門 vol.4 暴発!石井輝男ワンダーナイト」に行ってきた。

 

文芸坐の裏にあるセブンイレブンで食料と刺激物を調達し、一晩過ごす準備をして、会場へ向かう。

チケットは当日に購入した。”021”という数字に、あぁ、そのくらいの人数なのかゆったり観れるなぁと思ったが、劇場スタッフより「すでに前売りで100枚ほど売れてまして、その方々の後の入場になります」との情報が伝えられる。人々の期待値の高さに胸が熱くなる。

 

開場時間が近づくと、待合スペースは人で溢れかえった。男性が多いだろうと予想していたが、驚くべきことに、女性もそれなりに多かった。時代を超え、性別を超え、愛される石井輝男。

女性も安心して石井輝男の映画が楽しめる、それが新文芸坐オールナイト。

 

開映時間の22:30になり、石井輝男ワンダーナイトが幕を開けた。

最初に上映された作品は徳川いれずみ師 責め地獄(1969)

 

60年代末、日本映画における表現の規制基準はそれ以前と大きく変化した。映画産業の斜陽化、アンチヒーロー、アンチモラルな表現を求める傾向もあり、日活ロマンポルノが1971年から始まったように、60年代末から70年代半ばにかけて、テレビでは観られない過激描写を滴らせる映画が狂い咲いた。この責め地獄も、そんな時代に暴発した、石井輝男監督の「異常性愛」シリーズの映画群の中の1本である。

 

この当時の映画は、まず最初にスタッフ、キャストのクレジットが紹介され、タイトルが出て、エンディングは「終」の一文字で後腐れなく終わるというスタイルだが、まずこの責め地獄、タイトルが達筆な手書きのかっこいい書体でドーンと出てくるまでのオープニングクレジットがちょっとどうかしてるくらいの極悪さとサービス精神とかっこよさの塊なのだ。度肝を抜かれるとはまさにこのこと。そして、タイトルの後映画がはじまり、いきなり山場!いきなりトップレス!映画開始10分で、お腹いっぱいになる。

 

容赦なく繰り出されるめくるめく裸体に刺青、吊るされた女体、エログロの極みのような描写の連続に目頭が熱くなる。

 

江戸を舞台にした江戸エクスプロイテーション映画は数多くあるが、江戸という中世の時代の残酷性をここぞとばかりにサド、マゾ入り乱れる描写で映画にした例も他にないだろう。

 

まだ当時、若い20歳の片山由美子の、まさに身体をはった演技。いまでは、新人女優がこんな身体のはりかたをするのはまずありえないし、炎上するだろう。

 

血しぶき、極悪、俗悪、これが映画だ娯楽だ!という強烈な映画魂みなぎる作品。

2本目は、江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969)。まず、このタイトルにぎょっとする。その色々な誤解と顰蹙を呼び起こすタイトルゆえか、長らく正式なDVD化がされず、海賊版のみが出回っていたが、昨年ようやくDVD化された作品。

 

劇場で観るのは2回目、作品自体を観るのは5回目くらいになるが、何度観ても、土方巽の暗黒舞踏の不気味さ可笑しさ哀愁に感動を禁じ得ない。

 

吉田輝雄扮する人見広介が出会った少女は、どういうわけだか彼の脳裏にこびりついている聴きなれた歌を歌っていた。その歌にずっともやもやしていた人見だったが、その少女との出会いをきっかけにそれが裏日本の方の歌であることがわかる。さらなる情報を手にいれようと話をしていた矢先に、何者かによって少女は殺されてしまう。殺人犯の濡れ衣を着せられそうになった人見は、逃げるように裏日本へと足を運ぶ。道中、新聞記事で、自分そっくりの男の死亡記事を見つける。どうやらその男は、裏日本でも名の知れた名家の主人だったようだ。その名家について探りを入れていく中で、亡くなった主人の父親にあたる男が、無人島になにやら大掛かりなプロジェクトを進めており、一族の資産をつぎ込んでいるとの噂を耳にする。さらなる真相を確かめるべく、人見は見た目がクリソツなのを利用して、亡くなった主人が実は生きていたということにして、一家の邸宅に潜入する。そして、無人島へと乗り込むことに成功するが、なんとそこは奇形人間たちがはびこる、恐ろしい場所だった。土方巽扮する、奇形人間のボス。その奇妙な立ち振る舞いは、無人島の岩肌に打ち付けられる波しぶきと溶け合い、鮮烈な印象を与える!なぜ、彼は奇形人間たちの夢の島をつくろうと決心したのか? そこには、悲しい過去が横たわっていた。

 

タイトルやポスターのデザインから、なんだか怖そうなイメージが漂う映画だが、奇形人間といってもサーカス感が強い造形である。なによりもこの映画を特別なものにしているのは、やはりなんといっても土方巽のあの動き、あの表情、あのしゃべり方。奇妙と形容する他ない。暗黒舞踏で浜辺を駆け抜けてみたくなる。

 

話の展開は、はっきり言ってちぐはぐなところも目立つ。こういう場面をやりたい、こういう人物を出したいが先にあり、ストーリーにねじこんでいった印象だ。いきなり明智小五郎が事件を解説し始めるご都合主義な場面には面食らう。しかし、とても切ない、哀愁に満ちた映画。奇形人間であるがために妻を寝取られた男が、その悲しみと恨みから無人島に奇形人間の楽園を作り出そうとする話。自分を裏切った妻への仕打ちは、浮気相手の死肉を食らったカニを食わせるカニバリズム。ラストシーンは打ち上げ花火下から見るか 上から見るか、空にきらめく悲しみのスターダスト。

 

先ほどの責め地獄に続き、この恐怖奇形人間でも映画がはじまってすぐにトップレスの女性が出てくる。先手必勝、サービス精神の石井輝男。

3本目は、ポルノ時代劇 忘八武士道(1973)。これもまたすごい映画である。丹波哲郎が原作を気に入り、是非映画で撮ってほしいと石井輝男に売り込んだ作品。

 

丹波哲郎扮する凄腕の剣客、明日死能(あしたしのう)は、「生きるも地獄、死ぬも地獄」と達観したようにつぶやきながら、身に降りかかる火の粉を払うがごとくバッサバッサと立ち向かう者は皆切り捨てていく男。そんな丹波が成れの果てに紛れ込んだのは、世間のモラルというモラルを全て捨て去り生きる「忘八者」たちが運営する組織であった。そこでの主なビジネスは売春であり、忘八者たちは様々な鬼畜な手段を駆使して、自分たちに都合のいいように女性たちを仕立て上げていく。その凄腕を見込まれ、仲間になることを打診される丹波。忘八者たちは、邪魔ものを始末するための殺し屋を必要としていたのだ。達観しており俗世の善悪にとらわれない丹波は忘八者のオファーを受け入れる。斬って斬って斬りまくる丹波。しかし、忘八者は丹波が用済みになると、アヘン漬けにして始末しようとする。アヘンを吸ってもなお冴え渡るその刀さばき、アヘンを吸った状態のひとりの男VS大勢の男たちの壮絶な決闘へと雪崩れ込む。

 

内田良扮する忍者と、女忍者軍団の戦闘シーンがあるのだが、女忍者軍団がみな全裸である。外気が冷たく白い息を吐きながら漆黒の夜に舞う忍者と裸体。アメージングと言うほかない。

 

ゴジラの東宝から東映に移ったひし美ゆり子の身体をはった演技も見もの。ひし美ゆり子といえば、ウルトラセブンのアンヌ隊員。あれもこれも出し惜しみなく出している。相当なレベルの女優のにわかに信じられないレベルの脱ぎっぷりに眩暈がする。

 

妖艶で猥雑で極悪な忘八者ワールドと、徹底して廃頽的でアナーキーでありながらも品格漂う丹波哲郎の佇まいが合わさり、時代を超えてリスペクトされるに価する作品に仕上がっている。

 

ポルノ時代劇だなんて俗悪だとこき下ろし遠ざけるにはあまりにもったいない。ラストのアヘン漬け状態からの丹波哲郎無双シーンの息が止まるほどの美しさとかっこよさ、深夜の脳みそに染み入る刺激物

 

石井輝男ワンダーナイト、最後の作品は、直撃!地獄拳 大逆転(1974)。当時空手ブームに沸く中で、千葉真一主演で製作された作品。地獄拳としては2作目だが、前作からストーリーが続いているわけではない。ファニーサイドオブ石井輝男な、やりたい放題な作品。

 

千葉真一扮する甲賀竜一、佐藤允扮する隼猛、郷鍈治扮する桜一郎はそれぞれに切断された紙幣を渡され、招集される。全員集まれば、紙幣が完全なものになるといった具合に。彼らはそれぞれの分野で腕のいい仕事人たち。集まったところで池部良扮するボスの嵐山からあるミッションが告げられる。来日している慈善団体の会長の娘が誘拐されていてその身代金は6億円で、そこには6億円の宝石「ファラオの星」が関わっていて、誘拐された娘も宝石も取り返してほしいというような内容。ミッションを遂行しようとするが、まんまとはめられてしまう。このまま引き下がれるか、とファラオの星を盗み出す計画を立てる。いざ実行へと移すが、いまいちチームワークがかみあわない3人は、七転八倒しながらもミッションを進めていく。

 

とにかく、千葉真一、佐藤允、郷鍈治の3人の悪ふざけが最高。ミッション中に火あぶりになり苦しんでいる郷鍈治に、小便は火傷によく効く!と消火とアンモニア消毒を同時に行う千葉真一。トムクルーズにはできまい。ファニーでありながらタフガイ、それがサニー千葉。それぞれの他の映画での硬派だったり狂犬じみた役柄を考えると、なおさら最高だ。強面の男たちの全力の悪ふざけが見るならば、直撃!地獄拳 大逆転。

 

丹波哲郎、志穂美悦子といったキャストもナイス。丹波哲郎はいわずもがな。志穂美悦子は女必殺拳シリーズでそのアクションを披露している。昨今の女アクション映画に先駆け、志穂美悦子はタフな女性として男どもをぶちのめしていた。

 

最後の作品が終わり、時計を見ると朝の5時。外に出れば、池袋の風俗街で、真冬の澄んだ空気に飲み明かした人々の朦朧とした笑い声とつぶやき、東の空が白みだしている。素晴らしい作品を4本マラソンした後の爽快感、満足感、高揚感とあい合わさって、心には青春のあの感じ。

 

きっとこの夜のことはずっと忘れないだろう。なぜ映画館に足を運ぶのか。なぜオールナイトなのか。それは、映画を観る行為の魅力、醍醐味は、作品を観ること以上に、どこで観るか、どうやって観るかの映画体験の充実にこそ在るからだ。

 

石井輝男は、映画は見世物である、と言った。様々なクレイジーエピソードのある監督。いまでも石井輝男は生きている。人々の心の中で生き続ける。映画への愛、徹底したサービス精神。エロチシズム、俗悪、毒の裏にある哀愁と優しさと愛。それが時代、性別、国境を越え、見るものを魅了してやまない。いま、日本に足りないのは石井輝男だ! 致死量の毒とそれを凌駕する愛で心を撃ち抜き魂震わす、そんな映画を、そんな夜を、さまよい求め今日も生きる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です