バレンタインデーの季節に映画で考える、こじらせ男の恋愛

バレンタインデーの季節に映画で考える、こじらせ男の恋愛

恋愛なんて、くだらない。
ロマンスを探したり、それに浮かれる暇があったら、映画を観たり本を読んでいたほうがいい。

恋愛なんて、勝手にしやがれ、って感じ。

こじらせ文化系の先輩、坂口安吾さんも「恋愛論」とタイトルのついた、こじらせエッセイで

「人は恋愛によっても、満たされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさがわかるほかには偉くなるということもなさそうだ。」

と言っている。流石だ。

しかし、同エッセイは

「そのくせ、恋なしに人生は成り立たぬ。」

と続き、

「孤独は、人のふるさとだ。恋愛は人生の花であります。いかに退屈であろうとも、このほかに花はない。」

と締めくくられている。

恋愛に嫌気がさし、くだらないと思っていながらも、

「いかに退屈であろうとも、このほかに花はない」

という素直ではない言い方で、「やっぱり恋がしたい」

と述べている安吾先輩。

うーむ。

実際、同意せざるを得ない。

古今東西、ラブソングがあふれ、恋愛についての小説や映画が無数に作られ続けてきているのは、恋愛が「くだらない」と割り切れるものでは到底ないからであって。

恋愛に対して斜めに構えて、無関心装ったこじらせた男ほど、くだらないと割り切ったフリして全然割り切れてないから、ふとしたきっかけで恋愛に翻弄されて、痛い目に合う。インフルには自分は絶対かからない、と思っているやつほどインフルになるみたいなものだ。

恋愛は、厄介だ。それを認めなければならない。

そんなわけで、映画の中で、恋愛に対して斜に構えた一筋縄ではいかない男たちが、恋愛の渦に巻き込まれ、痛い目に合う映画/ドラマをいくつか選出した。これらを観てケーススタディとして活用すれば、こじらせ男の傾向と対策がある程度はつかめるのではないかと思う。

500日のサマー(2010)

監督:マークウェッブ
脚本: スコットノイスタッター、マイケルHウェバー
主演 :ジョセフゴードンレヴィット、ゾーイデシャネル

恋愛には警戒していてクールな態度でいても、しかし、斜に構えた自分とその趣味趣向を理解されて、何をしていても呼吸が合うように思えて、一緒にいると超楽しくて毎日が輝きだす、そんな女の子に出会ったらどうなるか。運命だ、と思う。こんなこじらせていた自分がここまで心を開けるなんて、と。しかし、それはこじらせ男の勝手な思い込みで、気が合うからって相手も「運命だ」と感じているわけでは、当然、ない。思い違いは壮絶なハートブレイクにつながる。

ジョセフゴードンレヴィット扮するトムは、グリーティングカードの会社で働く青年。いつも身につけているヘッドホンから流れる音楽はThe Smith で、着ているTシャツはJoy Divisionな、アラサーの文化系青年。会社の新しいアシスタントとしてやってきたのが、ゾーイデシャネル扮するサマー。サマーはミシガン出身のチャーミングで中肉中背、それでいて高校の卒業アルバムにBell& Sebastian の曲の歌詞を引用するようなところもあり、出会った多くの男が「特別だ」と感じてしまうような不思議な魅力のある女性。トムとサマーが出会った日からの500日間の出来事が描かれ、物語は進む。

自意識をこじらせ気味の文化系男は、(メジャーではない)好きな音楽の趣味が合うことによって簡単に、相手に特別なものを感じてしまう。トムのヘッドホンから漏れ聞こえるThe Smithをサマーが「それThe Smithでしょ。いいよね。」ということの破壊力。

自分と気が合うサマーに魅力を感じていながらも警戒していたトム。そんなトムの心の壁を取り払った決定的な言葉は、

「こんな話をしたのはあなたがはじめて」

自分はその他大勢とは違う、魅力的な彼女にとって特別な(替えのきかない)存在であるという喜び。これがこじらせ男を狂わせていく。

物語は、トムとサマーが距離を縮め幸せそうに過ごす500日間における前半の日々と、サマーがつれなくなりトムが荒んでいく後半の日々を交互に映し出していく。楽しかった出来事が、楽しかったその分だけ後半では辛い記憶になるその対比が滑稽で残酷。

サマーに振り回されて、あくまで友達でいたいと言われても、かすかな望みを捨てずにいたトムだが、ある出来事が決定的なハートブレイクをもたらすことになる。

ラストの着地の仕方は憎らしいほどにパーフェクトなのではないかと思う。

ルビースパークス(2012)

監督 :ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
脚本:ゾーイカザン
主演:ゾーイカザン、ポールダノ

自分の思うように振舞ってほしい、理想のあなたであってほしい。自分だけを見ていてほしい。当然、そんな、自分勝手は崩壊する。相手は独立した、意志を持った、生身の人間なのだから。そんな自分勝手は、しかし、こじらせ男の恋愛の傾向のひとつ。こじらせているほどに、あなただけは自分の理解者であってほしいと求める。離れていくのが耐えきれず、自分の思い通りにしようとすれば、待ち受けているのはグロテスクな大失敗。

ポール・ダノ扮するカルヴィンは小説家。10代の頃、デビュー作が大ヒット、天才ともてはやされるも、それから10年あまり経ち、小説を全然書けずカウンセリングを受けている。カウンセラーは理想の女性について書きなさい、とカルヴィンに宿題を出す。 その夜、カルヴィンの夢に女の子が出てくる(ゾーイカザン)。目が覚め、書ける!書けるぞ!とタイプライターに向かう。夢に出てきた、赤毛の女の子を、ルビー・スパークスと名付け、書き綴る。ルビーの特徴、性格、過去の恋愛遍歴、趣味など湧いてくるアイディアを寝る間も惜しみ書き続けるカルヴィン。すると、驚くべきことに部屋にその女の子が実際に現れる。書いた通りのそのままの女の子、ルビー・スパークスが!

最初のうちは幸せで幸せで仕方がない。なにせ、理想の生き写しなのだから。墓場でのゾンビ映画上映、噛みつかれるたびにショットを飲むのとか楽しそう。ゲームセンター行き、クラブに行き、めくるめく幸福なデート。ルビーがパンツ脱いで、ひらひらさせて、口にくわえて、の仕草の悩殺破壊力。

しかし現実に生きたルビーはだんだんカルヴィンとだけ過ごすことに退屈になる。自分で好きにやったりする。「週末は本読んでばっかり。それに友達もいないし」というセリフがグサりと心に刺さる。

カルヴィンはそこで、禁断のマシンに手をのばす。それは、タイプライター。そう、ルビーは、タイプライターで書いた通りになるのだ。タイプライターによる束縛!束縛する虚しさ、グロテスクさ! 嗚呼!
好きになった相手を「コントロールしたい」という気持ちについて考えさせられる。
なにが関係を終わらせ、なにが関係を再び生き返らせるか。

ラストシーンには、何度観てもハッとさせられる。

黒薔薇の館(1969)

監督: 深作欣二
脚本: 松田寛夫、深作欣二
主演: 丸山明宏、田村正和、室田日出男

破滅の結末がわかっているとしても、瞬間の刹那のきらめきを選ぶのか。こじらせて、世間に対して斜に構えているほどに、その刹那に生の実感を求める危険は身に迫る。

黒薔薇の魅惑の女を丸山明宏が演じ、若さゆえ愛をおそれ、愛を求める若者を田村正和が熱く演じている。横尾忠則のタイトル字、赤バックの映像、黒いばら!! 若き日の田村正和、美しき丸山明宏の演技が堪能できる深作欣二の松竹製作の一作。

真の愛を見つけたときに赤く染まる黒い薔薇。仰々しい設定だが、丸山明宏が演じることでアリになっている。黒薔薇の魅惑の女にぞっこんになり、あなたは私の妻だ! と押しかける男性多数。 黒薔薇の丸山明宏は、あなたのことなど存じ上げません、とさらりとかわし颯爽と歌い上げる。歌うますぎる。身のこなし美しすぎる。

愛とは、破滅であり、それが絶頂の瞬間に終わるもの。それをわかっていながら愛を求める人間。安定した未来と、情熱の愛の破滅をはかりにかけて、愛を選べば木っ端微塵の海の藻屑!「いまの時代、愛とはきちがいごとですよ」と室田日出男のしびれるセリフ。

60年代の終わり、それは若者にとって切実なテーマであったか。経済成長を続ける日本の中で、こぼれ落ちてしまったもの。刹那に永遠が在るのが愛である、という。愛は破滅をもたらすが、それが人生の花だろ? という、まさに坂口安吾の恋愛論的な問いを突きつけてくる。

いまの時代、こじらせて選ぶ破滅といえば、それは不倫か。

LOVE (2016~ 現在シーズン2まで)

製作: ジャド・アパトー
主演:ジリアン・ジェイコブス、ポールラスト
Netflixで配信中

こじらせた者がもがきながら恋愛と格闘していく様を描くドラマ。
恋愛の面倒臭さ、男と女の違い、知らず知らずに相手を自分を傷つけてしまう愚かさ切なさ。デジタル時代の恋愛の厄介さ。

「LOVE」ってタイトルだけど、ちょっと、そこらの口当たりのいい恋愛ドラマとは別格な作品。なにせ、製作が「40歳の童貞男」「スーパーバッド 童貞ウォーズ」のジャド・アパトーだからね。

こじらせ男、というか、こじらせ女も出ていて、「こじらせた男女が恋愛をするとどうなるのか」という狂騒が描かれる。主役のガスとミッキーを演じる二人が素晴らしく、特にミッキーを演じるジリアン・ジェイコブスは、ユーモアのセンスがあって、酒が飲めて、下ネタもOKで、ノリが良くて、オタクへの理解もあって、それでいて心が病んでいて、という文化系こじらせ男にとっての落とし穴っぷりがすさまじい役にどっぱまりの最高ワンダーウーマン。

シーズン1のエピソード1、それぞれの最悪の夜を経て、ガスとミッキーがはじめて会う場面。BGMでかすかに流れて、そのままエンディングで流れるAmbrosia のBiggest Part of Meが最高。一筋縄ではないかないロマンスの始まりを告げる感。

名エピソードは多々あるが、とりあえず、シーズン1のエピソード10「はじまりの終わり」までを見終えた時、「恋愛ってめんどくせー!でも、そのめんどくささの中でもがくガスとミッキーが愛おしい!自分も一度はこんなめんどくさい渦中に引き込まれてみたい!」と心から思った。続くシーズン2も、また、いいんだこれが。

2018年3/9から待望のシーズン3が始まるらしい。悶絶の日々がまた始まる。

マスターオブゼロ(2015~ 現在シーズン2まで)

製作:アジズ・アンサリ、アラン・ヤング
主演:アジズ・アンサリなど
Netflixで配信中

歯に衣着せぬもの言いで人気のコメディアン、アジズ・アンサリが製作と主演で、ニューヨークを舞台にして人種、セクシャリティ、世代、デジタル時代の恋愛における葛藤や苦悩などをコミカルに、社会への鋭い風刺をもって描くドラマ。

全エピソード最高で、もう出会えてよかった大好きありがとうなドラマだが、シーズン1のエピソード10が本当に秀逸。「あなたを一生愛します、なんて言える人たちが羨ましい」と、友人の結婚式に出て思う、アジズ・アンサリ演じるこじらせ男のデフ。

他人の100点満点な結婚の宣誓きいて、自分と今付き合っている彼女との間で、本当に嘘偽りなく心から同じようなことが言えるか?と自問するデフ。2年付き合って、お互いのことはだいたいわかって、付き合いはじめの熱もほどよくさめ、ただ結婚適齢期にたまたま出会った相手で、この無限に出会いが可能な時代で、このまま結婚したとして、本当に後悔はないのか?、と。

かつては、結婚はもっとシンプルだった。近くに住んでるとか、お見合いだとか。しかし、今は結婚相手に求める条件が「ソウルメイト」であることになり、デジタル時代のマッチングサイトやSNSでの無限の出会いの可能性とあいまって、全て最高に運命的にマッチする「ソウルメイト」探しの、終わりなき旅になってしまっている。70点、80点でいいのか、100点を維持し続けなければいけないのではないか?このエピソードではそんな終わりなき旅に苦悩するデフが描かれる。

半ば滑稽に、半ばシリアスに描かれるその苦悩は、アメリカのヤングアダルト世代(20代後半から40代くらい)、そして日本のヤングアダルト世代にも共有される感覚ではないか。

シーズン2の後半、「禁断の恋」のくだりも悶絶の連続。恋愛ってめんどくせー!そして罪深い!多様性ってめんどくせー!でもそれがいいんじゃない!
次のシーズンが待ち遠しい。

以上、一筋縄ではいかない恋愛を扱った映画/ドラマについて書いた。

恋愛とは、恋とはなにか。2010年代を代表するこじらせ男が歌う。

夫婦を越えていけ、二人を越えていけ、一人を越えていけ

果たして、越えていけるか。

恋愛は、くだらなくない。
そう思わせてくれる映画をもっとこれからも観ていきたい。

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