今日は土曜、13時から練習である。いつものように東高円寺で練習である。
今この文章を東高円寺の喫茶生活という喫茶店で書いている。わたしは昔、東高円寺に住んでいた。いい思い出は全くない。バドもまだやっていなかった。あのときは暗かった。
その後、仕事も私生活もヘビーだった東高円寺から私は神奈川県の藤沢市鵠沼海岸に移り住むことになるのだが、それはまた別の機会に。
私がこの店を初めて訪れたのは、東高円寺に引越しして来てすぐだ。店を知ったのは、(ジャズ 東高円寺)で検索したからだと思う。
私はジャズ好きで、都内のジャズ喫茶はほぼ行ったと思う。が、ここは知らなかった。もちろん一人で店に訪れて、カウンターに座りマスターと話した。店には誰もいないことがほとんどで、最近引っ越してきたんです、ジャズ好きなんですか、カーティス・フラー渋いっすね、なんて話したはずだ。マスターはおそらく40才ぐらい。ミニマルな店内は、この寡黙なマスターの性格を表しているようであった。
都内のいーぐるやメグといった有名ジャズ喫茶の話をしていた際、マスターは言った。ジャズ喫茶ともなるとオーディオとか凝ってますもんね、と。その他人事のような言い方に思った。ここはジャズ喫茶じゃないんだと。確かにレコード数やオーディオはジャズ喫茶のそれにしては全く物足りない。音量もしかりである。
私は、ここで植草甚一やマイルスのこととか色々話したと思う。いまどきの若者にしてはジャズを知っているということで、マスターも私と話すのはそんなに嫌じゃなかったと思う。
しかし、ある時期から、マスターは店内にいる客のだれとも会話しないようになった。出来る限りカウンターではなく、テーブル席に客を座らせるようになった。
しばらく時が過ぎて、私は仕事でどうにもならなくなった。甘えたことを言うようだが、こんなことで、一日の殆どが消費されていくのが信じられなかった。嫌なものは嫌でしょうがなかった。はっきり言って最悪だった。
Squareな職場はやはりSquareな人しかおらず、職場でジャズや映画の話なんかできるはずもなかった。私はあの場で息をひそめて、とにかく耐え、毎日東高円寺に逃げ帰った。ある日、いつものように駅に降り立ち、喫茶生活を思い出した。とにかく話がしたい。人と話がしたい。彼らは人ではない。
店に入るとやはり誰もいなかった。私は、席に座り、読みかけの本を読んだ。確か奄美大島で絵を書き続けた画家についての本だった。日本のゴーギャンと呼ばれている画家だ。私はその画家が辿った不遇な人生と自分を重ね合わせた。そうすることで毎日をなんとか保っていた。
私はその画家の人生を知ることによって、明日も、その次の日も仕事が続くことへの絶望に対して、なんとか距離を保とうとしていた。その時目をつぶっていたと思う。店内でなにが流れていたのか覚えていない。
眠らないでくださいね。自分に言われたこととすぐにわかった。しかし、私はその意味があまりわからなかった。いや、一応マックやスタバとかで寝ている若者に店員が声をかけている場面などは見かけたことはある。しかし、ここはそういう場所から遠い場所だと思っていた。ジャズの流れている、植草甚一やネフェルティティについて語れる、僕の居る場所だと思っていた。しかし、目をつぶりながら音楽に浸るというジャズ喫茶のルールは、ここには当てはまらなかった。
私は文庫本を閉じ、店を出た。ここはジャズ喫茶ではないもんな。目を閉じて音楽を聴いた僕が悪いんだ。
それから間もなくして東高円寺から引っ越した。
けっこうな時が過ぎ、今この店のテーブルでこの文章をかいている。トロンボーンのまあるいソロが流れている。いまジャケットを確認したらLennie・Tristano and Warne・Marshのintuitionらしい。トロンボーンは誰だろう。今度このレコード買おう。マスターもあのとき、日々を精一杯しのいでいたのかもしれない。私と同じようにだ。
偶然や、バドやくだらなく楽しい人々のお陰で、なんとかこの店まで戻ってくることができた。
あと13分で練習が始まる。とりあえずコーヒーを飲み干そう。
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