Takuya Nagabuchi 冠ラジオ 「I’m a SUPER STAR」2回目の放送を聞いた: 長渕剛を4つの時代に分けて解説

春めいてきた3月。人生の春は過ぎて、それでも成熟なんてしている気は全然しない。昨日みたいな今日を更新していく日々で、気分は基本的に曇っている。
今日もradiko に食指を動かす。

3月10日土曜日、Takuya Nagabuchiのラジオ、「I’m a SUPER STAR」、の第2回目の放送をradikoのエリアフリーで聴いた。関西地方OBCラジオ、土曜11:30-12:00。

初回放送は、Takuya Nagabuchiの自己紹介がメインの内容だったが、今回は、長渕剛の歴史の解説がメインの内容だった。

Takuya Nagabuchiによれば、彼が「地球上で最も尊敬するシンガーソングライター」である長渕剛のデビューから40年の歴史は、以下の4つに大別される

フォークアイドル期
ロックバンド期
カリスマボーカル期
生涯現役期

それぞれの時代で、容姿、服装、声の感じが違い、その変遷を追うことで真に長渕剛の魅力を堪能できるとのことだ。

長渕剛は、1956年9月1日生まれ。A型、乙女座。シンガーソングライターであり、俳優、書道家。今年62歳になる。それは、Takuya Nagabuchiこと佐藤拓也の父親と同い年のようだ。長渕剛は、父親の背中を追うように、なんとか追いつき追い越したい、そんな存在として君臨し続けている、と

長渕剛は中三の時、友部正人の「一本道」がゲルマニウムラジオから聞こえてきた時に衝撃を受け、楽器屋で3500円のガットギターを買って音楽を始めた。


大学に入り、酒場で歌って稼ぐ日々。中洲で、「演歌を歌え」と客に言われ、「演歌は歌えない」と突っ張って蹴られてボコボコにされたというエピソードもあるのだとか。

1976年、YAMAHAのポプコンで優勝。最初は「ながぶちごう」という名前でデビューする。しかし、鳴かず飛ばず。一度、地元に戻る。

1978年、ポプコンで再入賞。ここから、「純恋歌」を発表し、 広く世の中に知られることになる。

その後、家族ゲームなどのドラマに出演し、年間100本以上のコンサートをこなす。

ここまでが、デビューからのフォークアイドル期。

その後が、ロックバンド期。
時代はニューミュージックで、歌い方、容姿も変化。長かった髪もバッサリ切り、フォークのイメージから脱却。

1985年、「HUNGRY」というアルバムを発表する。勇次、明日へ向かってなどが入っているパンク色の強いアルバムで、ツアーではパンク色が強いことが祟って過労でダウン。ツアー後半は中止に。
「明日へ向かって」

その時、鹿児島にかえり、人生の浮き沈みを想いふけった長渕剛。桜島から「お前は生きる歌をかけ」と告げられ、1986年「ステイドリーム」を発表。
この曲が、新たなスタートのきっかけとなる。
「ステイドリーム」

また、この曲は当時Meijiのチョコバー、「ボディ」というチョコレートのCMでこの曲が使われていたのが印象的だったとのこと。

「ガブリボディ、エブリボディ Meiji ボディ CM」

この年、世界初の、センター・ステージライブを行う。
「ライセンス」、「ネバーチェンジ」と作品を発表し、確固としたスタイルを確立していく。

アルバム、「ネバーチェンジ」のツアーで、自身初の東京ドーム公演を行う。

「ネバーチェンジ」

そして、その後が、カリスマボーカル期になる。

いちばん声がしゃがれて、このとき、もはや「長渕剛」という新ジャンルを確立した。生と死、反社会的なメッセージな歌に込めて、インパクトのある曲を多数発表。ドラマ「とんぼ」もこの時期であり、「乾杯」、「とんぼ」のシングルはミリオンセラーに、アルバム「昭和」もミリオンセラーになる。

1990年、初の紅白歌合戦出場。紅白史上初の3曲披露。勝手に3曲も歌ったということでNHK出入り禁止になったと言われたが、3曲歌うのは予定されていたことで問題なく、出入り禁止のようなことになった原因は他にあったという。ベルリンからの中継だったが、日本からの「そちらはどうですか?」の問いかけに、「現場はドイツ人ばっかだ。いまの日本人はタコばっかでよ」という発言をしてしまったことがまずかったらしい。

1991年、ドラマ「シャボン玉」1993年、ドラマ「RUN」に出演。
当時、ザテレビジョンの表紙になったが、「レモン持たない事件」として、レモンを持たずに表紙を飾ったことが語り継がれているとのこと。ザテレビジョンの歴史上、レモンを持たなかったのは長渕剛だけだという。
そういう自分スタイルを通すところも、Takuya Nagabuchiが長渕剛に惚れる理由のひとつのようだ。

1992年、東京ドーム 公演で65000人を動員。しかもチケットは数分でソールドアウト。センターステージで、ひとりでのパフォーマンス。まさに長渕剛の絶頂の時代。

1994年、Captain of the Shipツアーを行うも、体調不良により、3公演で中止

そういった諸々を受け、体力をつけるために本格的に筋トレを始める。
正式に筋トレをスタートしたのは、1998年10月2日から。
徹子の部屋で、志保美悦子が発言していたとのこと。

そして、その後が生涯現役期となる。
アスリート並みの筋肉、研ぎ澄まされたメッセージと歌。

2001年、髪を金髪にする。身体もみるからにでかくなる。
2002年、野外ライブを開催。そのとき、2年後、桜島でライブをやる!と思いつきで発言。
2003年ANN、「今夜もバリサン」がスタート。
2004年、桜島オールナイト ライブを開催。全42曲。最後の曲、Captain of the Shipでは、 30分間拳が振り上げられた。
当時20歳の佐藤拓也も、このライブ会場にいた。新旧織り交ぜたセトリに歓喜し、「なんの矛盾もない」という自身の大好きなバラードがかかってとても嬉しかった思い出があるとのこと。

「なんの矛盾もない」
https://www.youtube.com/watch?v=66pQHKuEQrU

2011年、震災復興ラジオ、自衛隊松島基地での慰問ライブが話題となる。

そして、2015年、 全44曲にわたる、10万人を動員した富士山麓オールナイトライブが開催された。

ここまで、長渕剛の歴史をその長渕剛かと聞きまがうような声で紹介した後、生歌リクエストコーナーに。

今回は、犬星人さんのリクエストで、「乾杯」

前回と同じ、長渕剛も使っているブランドの高価なギターで弾き語り、「乾杯」のニューバージョンを披露するTakuya Nagabuchi。いつもは4期でそれぞれ違う長渕剛の4色の声を使い分けて歌うが、今回は1色の長渕で。ギターのチューニングはオープンD。

Takuya Nagabuchiが歌う長渕剛は、似ている、という感動を超えた凄みがある。毎週、生歌を披露してくれるのは嬉しい。

今週も充実の内容。
はたして来週はどんな内容のラジオになるのか。引き続き追っていきたい。

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