世紀末の音楽における太陽信仰について。ボアダムス。電気グルーヴ。Melt-Banana。Fishmans。ゆらゆら帝国。

もっとも代表的なのは、ボアダムスのSuper Go
このトラックはギターの山本精一のカオスさが前面に出ている、視覚に訴える曲だ
それに続編のアルバムSuper Are、
そしてVision Creation New Sun
決定的にシャーマニックであり、ボアダムスの決定版言える内容だ。
この後のEYヨは「水からの伝言」などの疑似科学的思考にハマっていく一方、
DJ光光光という世界的に類を見ない作品を生み出す。
その他を見てみよう。
電気グルーヴ1997年度の作品あすなろサンシャインアナログ盤
卓球と瀧のツインボーカルがトリッピーでいつしかリスナーは虜じかけになってしまう
2000年のMelt-BananaのTeeny Shiny
「光」そのものを具現化したかのようなエッヂの効いたギターに曲と一体化したようなヤコのVoは我々を昇天させる
Fishmansの宇宙世田谷日本 (1997)
ダウナーな音×ZaKのミキシングは日本のロックの最高傑作とまで呼ばれるようになる。
2000年代以降発見された傑作
皆んな光を目指している。
この時期はノストラダムスの予言により人類は滅亡すると言われていた。
星野源のSUNとはベクトルが明らかに違う、
内なるSUNと外なるSUNだ、誰しもが救いを求めていたような雰囲気が1999年頃にはあった
1999年 ゆらゆら帝国 太陽の白い粉
光を飛ばしてドラッギー且つトリッピーに仕上げている。
コーネリアスは太陽は僕の敵だと歌ったが、
世紀末の日本のミュージシャンの一部は同時多発的に太陽を自身の物にしようと試みていた。
私はこの時代の作品が好きだ、何故なら「死」の香りが漂うからである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です