バイアグラを飲んでみた ~あるいは日常と虚無について~

また金曜日がやってきた。なんとか仕事をやり過ごし、たどりついた金曜の夜。もう60年も前に、イギリスの作家は、労働者の休息について書いていた。

「だって土曜日の夜じゃないか。一週間のうち最高の、いちばん心はずむ陽気な晩。一年365日の重苦しいでかい輪のなかに52回しかない息抜きの晩。どうせぐったり寝て暮す安息の日曜日への狂暴な序曲。」(『土曜の夜と日曜の朝』アラン・シリトー)より

60年たって、変わったのは、週休二日制により、土曜の夜が金曜の夜に変わったことぐらい。労働者のノッペリとした日常は変わっていない。別に週末に何か楽しいことが待っているわけでもないのだが、仕事をする必要がないということだけで、幸せを感じるってことが少しおかしいと思うのは、私が大人になりきれてないからだろうか。

そんなこと考えながら、友人数人とLINEをしていると、その内の一人がバイアグラを今日の飲み会に持ってきてくれるとのこと。前々からバイアグラを飲むとどうなるかということで、バカ話をしていたのだが、今日実際に飲んでみようということになった。飲んだことのある友人の話では、体に顕著な変化が生じるとのこと。自分の感情とは関係なくエレクトがおさまらなくなるということである。

私は飲んでみたいと思った。異常な怒張を経験することで、この果てしなく続く日常、のっぺりとした起伏のない毎日に、風穴をあけることができるのではないかと。そう、『太陽の季節』で主人公が自分のイチモツで障子をぶち破ったみたいにだ。

信じてほしいのだが、おれは不能者ではない。バイアグラなしで正常な行為は営める状態ではある。また、おれは違法な薬物を摂取したことは一度たりともない。しかし、法律を犯さない範囲では、人間はどこまでも享楽的になるべきだと思っている。もし、この青い錠剤で少しでも日常の重力から逸脱できるのなら、それは拒むべきではない。

飲み会の最中、その友人から1錠渡され、飲んでみた。おれ以外に、他2名が半錠ずつ飲んだ。おそらく周りに20名ほどの男女がいるが、この試みを知るものは私たち5人のみである。

経験のある友人が言うには、30分ほどで効果が出始めるとのこと。まず、飲んで10分ほどで、顔がほてってきた。なにか熱を感じる。また、周りの友人からは、目が充血していると言われる。怒張は、血管の膨張であるから、何かしらの影響は出ているということである。しかし、30分たっても、アレの変化はない。薬が効きやすいように、空腹で飲んだというのにである。まあ、個人差はあるので、もう少し待つことにした。が、1時間たっても軟体動物のままであった。

やはり、周りに不特定多数の人間がいる状態ではダメなのか。白いガウン一枚で、ベッドの彼女のもとにダイブする状態で摂取しなければ、エレクトしないのか。私は煩悶した。「ケミカルがラディカルにノッカル。だけど、ロゴスがパトスをコロス。そして、戻される日常、なんだか無情」なんて、リリックを口ずんで、気丈に振舞っていたが、内心、ああ、またかと日常のしぶとさを認めざるを得なかった。まわりで談笑する楽しそうな男女たちの声が、おれの耳になんだか遠く響き続けた。

 

P.S.おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。だから、今度は4錠飲んでみます!

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