タマフルが終わった。
2018年3月31日、TBSラジオの番組「ライムスター宇田丸のウイークエンドシャッフル」、通称「タマフル」が終了し、2007年から始まった11年間の歴史に幕を下ろした。パーソナリティの宇田丸とスタッフの体制は基本的にそのまま移行し、TBSラジオでエキサイトベースボールが放送されていた時間帯、月曜から金曜の夕方6時から9時の3時間の枠で、「アフター6ジャンクション」が2018年4月2日から放送される。
タマフルはTBSラジオなので、radiko
が出てくる前は基本的に関東圏でしかリアルタイムで聴けない状況だったが、ポッドキャストでの配信を北海道に住んでいたころからずっと聴いていた。
タマフルを知ったのは、アメリカに留学していた頃に日本語のコンテンツの動画を夜な夜な観て過ごしていた時、水道橋博士と宮崎哲弥がホストを務める「博士の異常な鼎談」という番組のライムスターの宇田丸がゲスト出演していた回をたまたま観たのがきっかけだ。水道橋博士が「今、この人は他に誰もできない映画評論をしている」と紹介していたのを覚えている。
それから、動画サイトにアップされている、初期のタマフルにおける映画時評コーナー「シネマハスラー」の過去音源をいくつか聴いて、ひきこまれた。当時アカデミー作品賞を受賞した「ハートロッカー」という映画の評論をめぐる町山さんと宇田丸とのちょっとしたバトルも面白かった。
気がつけば、毎週の「シネマハスラー」での映画時評が楽しみになっていた。その時リアルタイムで劇場公開している映画に興味を持ち出したのも、タマフルの影響によるものだ。「シネマハスラー」の、その週に評論する映画を自分で選べないというスタイルのおかげで、クリントイーストウッド監督作品のような諸手をあげて称賛される素晴らしい映画から、「スポーツマン山田」といった暗号形式で当たり屋スタイルで評論されるような映画まで幅の広い映画が取り上げられ、興味の幅を広げてくれた。
「シネマハスラー」で扱われたから、そもそも興味がなかった映画でも映画館に観に行ったり、その関連作品や番組内で言及された作品をレンタルして観たりした。また、タマフルの中でのコーナーでゲストとして登場していた町山智浩さん、高橋ヨシキさん、春日太一さんといった稀代の映画評論家たちが、さらに多く幅広く映画を掘っていくきっかけを与えてくれた。
途中から、確か2013年くらいから、「シネマハスラー」は「ムービーウォッチメン」に名前を変えた。基本コンセプトは変わっていなかったが、「当たり屋的に映画を評論する」側面を弱めたのがコーナータイトルの変更に現れていた。この頃には、タマフルも、映画時評のコーナーも、相当な人気を獲得していたように思う。
メールでその週の課題映画の感想を送ることもしばしばあった。感想を送った週の放送は自分のメールがひょっとしたら読まれないものかとドキドキしながら聴いていた。ずっと読まれることはなく、人気番組の人気コーナーゆえのハードルの高さを痛切に感じていた。
つい先日のタマフル最終回放送での「リメンバーミー」の評論コーナーでも、ダメ元で、いつものように感想メールを送った。読まれることは期待していなかった。
酒を飲んだ帰りにラジコでイヤホンで最終回放送を聴いていた。リメンバーミー評がはじまり、そこでリスナーからの感想メール紹介となった。しかし、そこで耳を疑った。自分の送ったメールが読まれたのだ。
すごく嬉しかった。好きなラジオ番組でメールが採用されるということ自体、とても嬉しい。それに加えて、自分が映画を追求して観るきっかけをくれたラジオの、その最終回で読まれたというのが、本当に嬉かった。「リメンバーミー」という映画のことも、ずっと覚え続けることだろう。ありがとう、タマフル。
タマフルでは、映画評以外でも、投稿コーナー(孤独をこじらせた行いを報告するKOKOUが特に好きだった)やサタデーナイトラボでも様々な企画が組まれ、しょうもないものから重厚なものまで、本当に楽しかった。20代の10年間のその日々はタマフルと共にあったと言っても過言ではない。
タマフルがあったから、楽しかった。大学生だったあの日も、社会人になったばかりの時も、転職して住む場所を変えた時も、タマフルがいつもそこにあった。
「アフター6ジャンクション」にタマフルの伝説は受け継がれ、続いていく。映画時評もそのまま継続する。しかし、毎週土曜日の夜に放送され、いつもそこにあったタマフルは終わったのだ。どうしたってそれは感慨深い。
タマフルをきっかけに、ライムスターも好きになった。ライブも行った。札幌ペニーレーン24
でのワンマン。ヒップホップアーティストのライブに行ったのはそれが初めてだった。たいていライブは日曜で、前の晩にラジオやって、映画評やって、そこから北海道に移動してライブとかそのタフさほんとすごいな、と思っていた。
タマフルが世界を広げてくれたように、これから続いていくアフター6ジャンクションでも引き続き新しい世界とリスナーを繋げてくれるのだろう。そう考えるといまから楽しみである。
タマフルが終わりアフター6ジャンクションが始まるこの2018年、自分は30歳になる。どうしても節目を感じてしまう。20代の日々が、タマフルとの日々が、走馬灯のように思い出される。センチメンタル。しかし、思い出にふけっている暇などない。タマフルが前に進みアフター6ジャンクションとなったように、自分も前に進んでいかなければいけない。
これからの10年はどうなるか。どうしていきたいか。アフター6ジャンクションは、10年続くか。そうであれば、30代の10年の日々をまたこのラジオ番組と過ごしていきたい。
ラジオというのは心理的にとても近い距離で作り手と受け手をつなげるメディアだ。そしてテクノロジーは不可逆なものであり、ラジコのエリアフリー/タイムフリーが、日本国民のほとんどに普及したスマホで使用可能である今と、その前では、ラジオの在り方も違っている。2018
年において、ラジオは古いメディアであるどころか、人と人をつなぐ、情報や文化を伝達する最も優れたメディアなのではないか。
これを書いている今日は4月2日。もうすぐ夕方6時になる。ラジコのチャンネルをTBSラジオに合わせて待っている。アフター6ジャンクションがはじまる!
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