物語のはじまりには ちょうどいい季節になった4月。スポーツ始めます。

エブリデイ エブリデイ エブリデイ
物語のはじまりには ちょうどいい季節になったろう まるで全てが変わるように

そんな快活な小沢健二の声が聞こえてくる、「犬は吠えるがキャラバンは進む」の中の1曲、「暗闇から手を伸ばせ」を聴いている。

https://www.youtube.com/watch?v=p5KS8ZzpQ9Y
若き日の小沢健二による「暗闇から手を伸ばせ」

この曲を聴きながら思う。4月は、はじまりの季節。黒いスーツの新入社員たちを横目に歩く。新しい生活のはじまりに都市が浮足立っている。

新しい生活のはじまりとは、ワクワクするものである。しかし、それは同時に、ストレスを伴うものでもある。人間にとって環境変化というのは大きなストレスになる。

新しい何かを始める際も、ワクワクと好奇心に加えて、ストレス、負荷はつきものだ。未開の分野、苦手な分野であればなおのこと。大人になれば、精神的/肉体的に負担のかかる苦手なことにはなかなか手をださなくなる。

私にとってスポーツは長らく縁のないものであった。スポーツは遠い。やらない。苦手だ。身体を動かしたりデトックスのためにジョギングやサウナに行ったりはするが、身体をそれ以上高度に動かすことはなかなかやらない。スポーツをやるのは精神的/肉体的負荷が大きい。

しかしながら、この春からスポーツを始めてみようと思っている。知り合いがスポーツサークルに関わっており、そこでは皆親切でよくしてくれる雰囲気で、なんだか縁があって、はじめてみようかという気分になった。この間一度行ってみたが、楽しかったし、皆優しかった。しかし、翌日から下半身を中心に筋肉痛がとれない。特に、おしりの筋肉が痛い。肉体的負荷の洗礼に見舞われている。

いかに普段おしりの筋肉を使わず、座ってばかりいるかということだ。映画ばかりみているからこうなっているのだろう。

そのスポーツをやっている時の自分というのは、そこの言語が話せないのにその国に行った観光客のような気分だ。まわりがペラペラ話している中、基本のあいさつくらいしか言葉がわからず、心細いから、とりあえずジェスチャーだけはおおげさになってしまうような。

その状況から、言語を覚えていこうと前向きにやれるかどうかが、その国での体験を豊かなものにするかどうかを決定づけるだろう。

しかし、その態度は年をとるほどに難しくなっていくものだ。自分というものが確立されていて、変なプライドや自意識があるから。その国の言葉を覚えるために自分を学びの謙虚なモードにできず、日本語だけで押し通そうとしてしまう。

自分のプライド、築きあげたと思い込んでいるものをカギカッコの中に入れて、新入社員の気分でとびこまなければいけない。しかし新入社員というのは心細いものだ。大丈夫か。

無限の海は広く深く
でもそれほどの怖さはない

と小沢健二が「流動体について」という曲で歌っている。同曲の中で「意志は言葉を変え、言葉は都市を変えていく」と歌われるように、意志が自分を変えていく、流動体のようにありたい。

しかし、ふと我に返ると、虚しさに襲われたりもする。らしくないことをしようとしてんじゃないか、と。レディオヘッドの「Creep」の再生ボタンを押す。

But I’m a creep, I’m a weirdo
What the hell am I doing here?
I don’t belong here
(拙訳)
俺は気持ち悪い、変な奴
なのに、一体ここで何しているんだ?
ここは場違いだ

https://www.youtube.com/watch?v=XFkzRNyygfk
こんな暗いのに2億回以上再生されている

いやいや。そんな暗いこと言っても仕方ない。そっちの落とし穴にはまってはいけない。
我に返るスキマは埋めなければならない。

https://www.youtube.com/watch?v=SZUDd5eKjX0
TOMOVSKY 「我に返るスキマを埋めろ!」

いちいちそこで感じるな
なにか聞こえても
なにか気づいても
なにかわかっても

我に返るスキマを埋めながら駆け抜けたい。スポーツ、3日坊主になりませんよう。

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映画、音楽、本のことを中心に、役に立つかどうか度外視して書きたいこと書こうと思っています。サブカルなイベントもよく行くので、そのレポートみたいなことも書くかもしれません。