マッチングアプリについての雑感

昨日、神保町シアター、「家族の肖像」特集の上映作品である、沈丁花(1966)という映画を観てきた。

京マチ子演じる32歳の四姉妹の長女は歯科医。妹たちが皆結婚する中、30過ぎてもなかなか良縁に恵まれず苦悩する様を、コミカルに描く。60年代当時の風景、家族のあり方、人々の考え方に現在との共通するもの、違っているものを見るのが楽しい一作。

マッチングできず苦悩するのは、60年代も2010年代も変わらない。ただ、マッチングの在り方は変わっている。

昨今、マッチングアプリが流行っている。

街中の広告でも目にすることが多い。

儲かっているのだと思う。周囲で使っている人も普通に多い。

ある種、中毒性のあるマッチングアプリ。

たくさんの人が登録し利用する気持ちもわかる。

マッチングアプリの気持ち良さは、「新天地デビュー」の気持ちよさだ。

高校デビュー、大学デビュー、社会人デビュー。人は新天地で、環境の変化にあわせて新しい自分を作り出したいと夢想する。それまでの手垢のついた自分ではなく、「見てほしい自分、これからの自分」を打ち出すべく新しい場所でイメージづくりに邁進する。

マッチングアプリのプロフィールにもこれと似た快感があるのではないか。

都合の悪い自分は伏せて、都合のいい自分「見てほしい自分」だけをそこに盛り込む。

学校や職場にはいない、「もう1人の自分」がそこに立ち上がるのだ。日常で浮いた話や刺激がなければ尚のこと、マッチングアプリで新たな人格をつくり見せたい自分を演出することは魅力的で、誘惑的だ。

しかし、マッチングアプリで意気投合した2人。現実に会い、お茶でも行って話をする。すると、お互いなんか違うな?みたいなことになることも多いのでは。それは、ネット上では見せたい自分を見せたいように見せられていたが、現実では、それ以外を含む「トータルでの自分」が露出してしまうから、だと思う。

見せたい自分と、本当の自分。そこのギャップを受け入れて、それを晒す誠実さがないと、誰かと出会っても虚しいだけなのではないか。

自分と向き合わずにユートピアを求めても人生をダウンサイジングしていくだけ。

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今日も幾多の希望と失望がマッチングアプリを賑やかに輝かせている。

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