タリーと私の秘密の時間 を観てきた感想

9月のはじまり平成の夏の終わりの最中、「タリーと私の秘密の時間」という映画を観てきた。

JUNO(2007)の監督ジェイソン・ライトマン、脚本ディアブロ・コーディのコンビによる作品。このコンビに加えて主演 シャーリーズセロンといったヤング≒アダルト(2011)と同じ布陣での映画。

シャーリーズセロン演じるマーロは43歳にして3人めの子どもが生まれ、2人でも大変なのに地獄みたいな状況は加速。夫はたいして役にたたず、疲れ果て荒んでいくマーロをみかねた金もちの兄が手配した夜の子守り、マッケンジーデイビス演じるタリー。タリーの気の利いたパーフェクト子守りが日常を変える。灰色だったマーロの日常は彩りを取り戻していく。しかし、終盤、予想外の展開に話は進んでいく…。

今作と同様にジェイソン・ライトマン監督、ディアブロ・コーディ脚本、シャーリーズセロン主演という前作「ヤング≒アダルト」の主人公メイビスがまさに忌み嫌っていた、郊外で家庭を築くという退屈なくらし。それが今回のタリーと私の秘密の時間での主人公であるマーロが置かれている状況そのものだ。演じるのは同じシャーリーズセロンでありながら、前回とは反対側に振り切った設定となっている。

田舎で家庭を築くことは自分の可能性を閉ざすこと、退屈にしばりつけられることという価値観。メイビス然り、そのような自分を縛り付ける価値観から自由でありたいというのがいままでのジェイソンライトマン映画の主人公の特徴だった。JUNO、マイレージマイライフにおいても、それぞれに、自分は世間一般的な退屈な奴らとは違うというような、ある意味でこじらせた自意識を抱えた主人公が描かれていたように思う。

しかし今回は、まさにその退屈にしばりつけられ、疲弊した状態の主人公が描かれる。追われるようにこなしていく日々、自分の心身のメンテナンスなど一番後回し。郊外で家庭を築いた挙句、アリ地獄のようにキツい日々で、まさに自分の可能性が閉ざされている。
ぶよぶよの中年体型に肉体改造したシャーリーズセロンがそれに視覚的説得力を与えている。アトミックブロンドでの美しいスタイルからの変貌ぶりに息を呑む。

そんな状況を変えていく存在として現れるのが、タリー。快活、文化的、ベビーシッターとしての能力の高さ。若さもあり、性的な魅力も兼ね備えている。マーロにとっては救世主でもあり、かつての若い頃の自分を重ね、羨ましく思ってしまう存在でもある。そう、マーロもかつてはニューヨークの中心部に住み、シティライフを謳歌していたのだ。

マーロがタリーに対してこんなことを言う。

I BET YOU HAVE BIG PLANS. I MEAN, your 20s are great. They are, but then your 30s come around the corner like a garbage truck at 5am.
(あなたには人生の壮大な計画があると思う。20代は最高。でも、30代はすぐそこまで来ている。まるで朝5時にやってくるゴミ収集車のように、すぐそこに。)

それは今を謳歌するタリーへの警鐘でもあり、マーロ自身の人生を振り返っての、自分へ向けた言葉でもあるだろう。

歳をとることは、ゴミ収集車に回収されていくことでしかないのだろうか? 可能性はただただ狭まり、人生は退屈に収束されていくものか?

歳をとり、中年になり、同じことの繰り返しの日々、だんだん女としての魅力もどこへやら。ヤングアダルトの悲哀。かつての都会暮らしガール。叶えたかった夢は?

ある日、タリーが夜の酒場へと息抜きに行こうと誘う。かつての華やかな暮らしを思い出すマーロ。

そこからの驚きの展開。そして、最後にマーロがたどりつく、幸せとはなんたるかという、とりあえずの答えのようなもの。共感できるかどうかはさておき、考えさせられる。

ハートウォーミングなヒューマンドラマではなく、むしろ激しくサイコな映画。肝要な部分のタネ明かしになるゆえに詳しくは言えないが、鬱で極限状態になった人間が起こすブレイクスルーを描いている。味わい深い映画。

あまり公開館数も多くないが、劇場でシャーリーズセロンの授乳も見られる映画。

おすすめです。

 

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