ライブシーンがすばらしいだかいう前評判がやたらといい、ボヘミアンラプソディー。
どれどれどんなもんかと、へっこらよっこらしょと、新宿ピカデリーで観てきた。
月曜の夜なのに、すごい数の人が劇場に入ってた。
スタッフ、基本情報
ボヘミアンラプソディー/ Bohemian Rhapsody(2018)。ユージュアルサスペクツ、Xメンシリーズのブライアンシンガーが監督(途中でクビになってるけど)。アンソニーマッカートンが脚本。ラミ・マレック(フレディマーキュリー役), ルーシー・ボイントン(メアリー役)、グゥイリム・リー (ブライアンメイ役)、ベン・ハーディー (ロジャーテイラー役)、ジョセフ・マゼロ(ジョン・ディーコン役) らが出演。
簡単なあらすじ
バンドの結成から、成功への階段を登り、フレディマーキュリーの苦難の時期、仲違いのバンドの冬の時代を経て、1985年のライブ エイドでのパフォーマンスに至るまでのクイーンの物語であり、名もなき青年から世界のスターに上り詰め、孤独にもがき、絶望に苦しみ、本当のボヘミアンになりかけながらも、大事なもの、それはバンドの仲間!ファミリーだと気づき1985年のライブエイドで感動的なパフォーマンスをぶちかますフレディマーキュリーの物語。
バンド青春物語
まず、クイーンって、すごいバンドだ!ということを叩きつける作品である。クイーンというバンドの青春ストーリー。ブライアンメイやロジャーテイラーやジョンディーコンがすでに一緒にバンドやっているところへ、フレディが加入し、四人になった時のパズルのピースが揃った感。
そして、フレディマーキュリーが天才として取り沙汰されがちだが、みんなメンバーそれぞれ才人の集まりということが描かれる。それぞれがプレイヤーとして一流なのに加え、音楽的にもフレディと対等に意見をぶつけ合う。合宿しながらの、ボヘミアンラプソディーが入るアルバムのレコーディングの様子の青春感といったら! 「ガリレオフィガロー」って高音をロジャーテイラーに何回言わすんだよ!ってくらいテイクを繰り返すくだりは笑った。前と同じことはやりたくない、いかに実験的で、おもしろいことをやるかを重視し、音楽を楽しんで作る、スタジオワークを追求する様子が描写される。
派手なステージパフォーマンス、確かな演奏力に加え、ある種オタク的にスタジオワークも追求するというバンド、クイーン。その器の底知れなさを思い知らされる。
ソロとしての迷走の時期を経ての「反対意見も出すお前がいるからいいんだ! 俺はお前らが必要なんだ。 」というフレディのセリフに涙。
フレディについて
この映画を観てはじめて知ったのだが、フレディ・マーキュリーはもともと、ファルーク・バルサラという名前。イギリスで育ったが、インド系のアイデンティティを持つ。フレディ・マーキュリーと名前を変えて、別人になろうとした。親と決別するとしても、自分自身から抜け出したかった。 強い自意識もあり、コンプレックスも強かったフレディ。だからこそ音楽で、バンドで、違う世界へと野心を人一倍燃やしたわけだ。自分の容姿やアイデンティティにコンプレックスがあったからこそ、フレディは魅力的に輝いたのだろう。 武田砂鉄 著のコンプレックス文化論にあるように、コンプレックスこそがその人の魅力の源になる。
そして描かれる、フレディ・マーキュリーの孤独。メアリーという女性を心から愛した。しかし、身体は男の人を求めた。その引きさかれんばかりの切なさ。自分の同性愛を認めて以降、メアリーの家のとなりの家に住み、メアリーに電話をかけ、窓越しでランプをつけたり消したりして、電話で話すところなんか、切なさに涙が出る。そこから、だだっ広い家でさみしいから奇人や変人よんでパーティだ!とするんだけど、バンドメンバーも家族がいて、狂騒の中、なんとなく虚しくて、所在ないフレディ、、ああ、フレディ!!
そんなフレディの孤独に思いを馳せた時、彼の歌声のパワフルさと繊細さ、そのメロディとことばの強さとあわさり、そのダイナミズムがすごくグッと来る。ボヘミアンラプソディーもそうだし、Somebody to loveなんか、心の涙腺決壊。
フレディ役のラミ・マレックはMr.Robotの主演の男。大きな目の、寂しそうな、孤独の顔付きがとても良かった。繊細で、所在ない感じが全身から醸し出されていた。フレディの動きを完コピしたステージパフォーマンスの動きも大拍手!
尚、劇中のフレディの歌声に関しては、カナダのシンガー、マークマーテルの歌声とフレディ自身の歌声とが絶妙にミックスされ使われているとか。マークマーテルとフレディマーキュリー、長渕剛とTakuya Nagabuchiのような声の再現っぷり。
似てる
話のダイナミズム
順調にスターダムを駆け上がり、成功の最中のクイーンだったが、孤独が手伝って荒んでいくフレディ。メアリーのことがまだ好きなのに、当のメアリーは彼氏作って一緒にクイーンのライブ観に来ちゃったりして。それで、なおさら荒んだ享楽へと溺れていくフレディ。そんなフレディをソロへと手引きし、堕落の方向へ向かわせたポール。キッズリターンのモロ師岡的なキャラクターだ。彼の手にかかり、フレディはバンドとも離れ離れ、ドラッグに溺れ、性愛に溺れ、地の底を味わう。バンドもほぼ解散状態に。
しかし、それこそ、メアリーからの一喝で、絶望の底かららまた立ち上がるフレディ。だが同時に、エイズになったことが判明する。嗚呼! それでも、俺はエイズでかわいそうみたいに思われて終わるつもりはない、死ぬまで音楽をやり続けるそれだけだ!とバンドに打ち明け、大舞台のライブエイドだからこそ、ものすごくドラマチック!
ボヘミアンラプソディーでの「俺はまだ死にたくない」の歌詞の響きの重さたるや。そして、We are the championという曲がフレディからのお別れの歌であり、聴くものを鼓舞する歌であり、とんでもなくエモーショナルに響く! Weが主語であることにあらためてグッとくる。アイアム ア チャンピオンじゃないんだ。バンドとしてのWe! バンドとオーディエンスのWe! 絶望感の中、苦しみの中でも必死にくらいついて立ち上がり続ける全てのものとしてのWe! エーオ! エーオオオオ!!!
ライブエイド
クライマックスのライブエイドの映像の臨場感がもう、世間で騒がれているのが無理もない、凄さ。あれ、セット? すげえデカさだ。ピアノの上のペプシの細部に至るまで完全再現したとか。狂気を感じる完全再現。
歌詞が字幕で出て、歌の意味も噛み締めながら聴くことで、なおさらエモい。ボヘミアンラプソディーやWe are the Championはもちろんのこと、RADIO GAGAの歌詞も、すごく沁みた。ラジオ! ラジオ!
ステージにメンバーが現れ、フレディがピアノの前に座り、ボヘミアンラプソディーのピアノのイントロが鳴り出した時、歓声がわーってなり、フレディが歌い出したら観客もみんな歌ってる。フレディのパーソナルな世界とオーディエンスとのコネクト! 個人的な感情や気持ちが濃厚に詰まった曲が、広く深く聴き手に刺さり、個人の歌から、みんなの歌、アンセムになる時のドラマチックさといたらない。
そして、エーオ! エーオオオオのコールアンドレスポンスが圧巻。 あんなコールアンドレスポンスが成立するパフォーマーはほかにいない。
クイーンの音楽
クイーンの音楽を聴いて感じるのは、太さ。音が太い。メロディが太い。楽器の音が太い。SHEER HEART ATTACK をアナログで最近聴いて、そのテンションの高さと極太サウンドにぶっとばされていた。
そして、この映画を観た後だと、クイーンはロックンロールバンドであり、踏んだり蹴ったりの俺らの日々に寄り添い、勝ちに行こうぜ!って声を張り上げるバンドなのだという確信を抱く。美しいメロディ、多彩な音楽ジャンルの咀嚼、実験的なスタジオワーク、圧倒的なステージングが醸し出す過剰性に加えて、その根底に泥臭いど根性スピリットが燃えているのがグッとくる。
映画を見る前と後では、クイーンの音楽の聞こえ方も、いい意味で変わってくる。
ブライアンシンガー
一応、監督のクレジットはブライアンシンガーということになってはいるが、度重なる遅刻と突然姿を消すなどのことから、主演のラミ・マレックも不信感を抱き、ブライアンシンガーは撮影終了前に製作側に解雇されている。代わりに、デクスターフレッチャーが残りを監督し、なんとかしたということだが、ブライアンシンガー、どうしたというのだ!
しかし、公式の監督のクレジットはブライアンシンガーだけというのは納得がいかない。お金や利権が絡んでいるのだろうか。素晴らしい映画なだけに、この辺がもやもやするのはなんとも残念。
口コミ、SNSで騒がれるだけのことはある、熱い作品。応援上映観たいのも行ってみたい!
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