オリビア・コールマン、レイチェル・ワイズ、エマ・ストーンの三つ巴。上品な中世の歴史ものだとあなどるなかれ。現代のスラング飛び交う仁義なき宮廷大奥ドラマであり、ヨルゴス・ランティモス・ワールドが展開された寓話だ。女王陛下のお気に入り(原題:The Favorite) を観てきたぞ!その感想。

今年の映画賞レースでも話題の本作。

オリビア・コールマン、レイチェル・ワイズ、エマ・ストーンが三者三様の個性で見せ場をぶちかましていると聞きつけ。

へっこらよっこらと観てきた。

立川シネマシティでみたが、賞レースの映画だけあって、劇場はほぼ満席。

ベテランの映画ウォッチ人たちの目の奥がギラリと光る劇場で、観てきたわけだ。

◆基本的な情報

監督は、ロブスター(2015)、聖なる鹿殺し(2017)などで知られるギリシャ人の監督、ヨルゴス・ランティモス。FOX サーチライトピクチャーズ配給、上映時間120分。脚本は、デボラ・デイビス、トニー・マクナマラ。女王のアンの役として、オリビア・コールマン。アンの幼馴染で、宮廷での女王の側近として実質的な政治をやりくりするサラをレイチェル・ワイズ、もともと貴族だったが身分が落ち、職を求めて宮廷にやってきたアビゲイルを、エマストーンが演じている。宮廷内の男のひとり、戦争反対派のハーリーを、ニコラス・ホルトが演じている。

オリビア・コールマンは今回のアカデミー賞で主演女優賞にノミネートし、受賞。オリビア・コールマンとレイチェル・ワイズはランティモスの「ロブスター」以来の共演。レイチェル・ワイズとニコラス・ホルトはAbout a boy(2002)以来の共演だという。About a boyの頃はまだ幼い少年だったホルトも、ノーフューチャーなマッドマックス怒りのデスロード(2015)のニュークス役などを経て、すっかり味わい深い演技の一人前の男に。身長190cm、でかい。イギリス系の役者がひしめく中、エマ・ストーンが唯一のアメリカ人というバックグラウンド。

◆あらすじ

18世紀初頭、フランスとの戦争の真っ只中にあるイングランドを舞台に、女王のアン、その右腕かつ幼馴染でいろんな意味で親密な仲のレディ・サラ、そして、ある日、使用人として宮廷に新たにやってきた元貴族で今は凋落した身分のアビゲイル、これらの3人が中心となり巻き起こる、宮廷ドラマ。使用人の中でもいじめられていたアビゲイルだったが、よい仕事をするアビゲイルをサラが重用。しかし、アビゲイルがアン女王の信頼を獲得し、距離を近づけていくに連れ、やがてサラとアビゲイルの2人は、アン女王の寵愛を巡り、激しい対立をしていく…。

◆自然光のみの撮影

コールドプレイ、マッシヴアタックなどのPVも手がけ、ケンローチ監督作や、英国インディペンデントスピリット賞を受賞したというアンドレア・アーノルド監督作「アメリカンハニー」(2016)での撮影も手がけている、ロビー・ライアンが今作での撮影監督。

18世紀に見えていた世界の感じを映し出すべく自然光のみをライティングに使った映像が印象的だ。魚眼レンズのようにまるみを帯びたレンズでの構図、360度のウィップ・パンなどがあわさり、リアリティがありながらも寓話的な、不思議な印象を与えている。

夜のシーンはろうそくの灯りのみで、闇の部分が黒く深い。電気による明るさではないものが作り出す闇の黒さというのは、ヒトの原始的ななにかに訴えかけるものがある気がする。

◆歴史モノの定型ではない表現

歴史的考証をあえて無視したという華やかなファッション。当時の素材やデザインにこだわらない、自由でクリエイティブな仕上がりになっている。女性たちの服装のほとんどの色を白と黒に限定し、政治家も所属する党によって着る服の色を分けるなど、色味にもこだわったとか。数々の映画で衣装を担当してきたサンディ・パウエルのグッドジョブ。

また、本作では意図的に破壊されたという、歴史映画的な「礼儀正しさ」。華やかな宮廷の屋敷やファッションがある一方で、直接的なスラングや、粗野で即物的な暴力がかまされて面食らう。

けっこう序盤のシーンで、レイチェル・ワイズ演じるサラと、フランスとの戦争を税金をあげてでも継続するかの政治的判断を巡り対立したニコラス・ホルト演じるハーリーが放つ、ある単語。良い子は耳にするのもはばかられる、そのやばい単語が、その後も何度も使われる。

歴史考証をあえて無視し、「歴史ドラマだが、歴史映画に求められることに制限されることはしない」という意図の下つくられた今作。その結果、史実に基づいた話でありながら、リアルなようで、寓話性に富んだ、不思議な世界が展開されている。

◆突き落とされる存在としてのアビゲイル

冒頭、エマストーン演じるアビゲイルが馬車に乗って宮廷へ向かう場面。アビゲイルの向かいに座った若い男性。ニッコリ微笑んだかと思うと、アビゲイルを見て微笑みながら、マスをかく。そして、アビゲイルが馬車から降りる際は、背中を押して突き落とす、といった具合だ。

とにかく、そこからことあるごとに、実際に物理的に背中をおされたり、いじめられたり、「突き落とされる」アビゲイル。そもそも、昔父親がギャンブルで自分を賭けて、負けて、ドイツの男に売られたという屈辱の過去を持つ。もともと貴族だったところから失墜した過去もあり、あらゆる場面で、突き落とされ続けている。

そんなアビゲイルだが、女中たちの嫌がらせでただれた手を癒すために使った薬草を、アン女王の痛風の足の傷を癒すためにサッと使い、そのことを女王にアピール。うまく女王に取りいり、立場の向上の突破口としていく。やられても、ただではすまないというスタンス。

やられてばかりではすむものか、地獄の底に戻るくらいなら、時にはモラルに反してでも這い上がってやる、というアビゲイルの強くしたたかな野心が、この映画のストーリーの推進力となっていく。

また、アビゲイル、決して男に体を許さず、常に男に対してマウントを取って勝ちに行く。草むらでの、じゃれあってるのか喧嘩してるのかわからない絡み。政略結婚のようなものを終盤するが、結婚してその初夜が手コキ! しかも、独り言つぶやきながら!

◆愛にも限界があるというサラ

冒頭「愛に限界はないべきだ」というアンに対して「愛にも限界がある」というサラ。演じるのはレイチェル・ワイズ。美しい! クールビューティ。

実務の面ではあまり頼りない女王にかわり、宮廷政治の舵取りをする、合理的で、頭が切れる存在として描かれる。サラがいなければ、宮廷の政治は回らない。

そして、アン女王とは幼馴染であり、友人であり、友人としての関係を超えて、性的に親密な間柄でもある。

そのアン女王とサラの関係性は、野心的な這い上がり根性を燃やすアビゲイルにとって、なんとしてもサラの立場を奪取してやる、と思わせる、恰好の餌食だ。

政治を動かし、野心的であり、アン女王への愛情がありながらも、ある一定のところまでいくと合理的であるサラ。サラのそんな割り切りが、終盤の展開を作り出していく。

あと、サラといえば、宮廷内のダンスパーティで、コンテンポラリーダンスじみた、なんだかシュールで滑稽なふりつけのダンスを踊るシーン。あのダンスで表現していたのはどのような感情なのだろうか。

◆満たされない、どこまでも愛を求める女王のアン。

オリビア・コールマンは、アン女王の役のために16キロ太ったという。
やはり、アカデミー賞を獲得するのに肉体改造というのは有力な手か。

それはともかくとして、まず、女王のアン、食い過ぎ不摂生がたたっているのか、痛風で、歩くこともままならない。車椅子で移動するありさま。政治的な判断に加えて、身の回りのこともサラがいないと回らない。

食い過ぎは度を越していて、食って、吐いて、吐いたそばからまた食ってる。なんてこった、と思うが、しかし、そのような、どこまでも埋まらないなにかを埋めようとする行動は、死産などで亡くした17人の子供達のかわりに17匹のうさぎを飼っている、ということからもうかがい知れるように、自分から大切なものがなくなり続けた人生、喪失にまみれた人生ゆえの、悪夢のように消えない「満たされなさ」によるものだろう。

満たされない、愛されたいがゆえに、サラとアビゲイルの両方から愛を受けようと、結果的に二人をもてあそぶアン女王。

成り上がりの野心に満ちた新参者のアビゲイル、長く付き添っている親友であり参謀であり愛人であるサラ、愛に飢える痛風の女王のアン。この3人が、まさに地獄の3角関係をおりなしていくのだ。

◆貴族たちの遊び

戦争中だというのに、アヒルレース へんな踊り、ロブスターレースと、めくるめく貴族たちの遊び。その中でも特に印象的だったのは、裸体の毛深く醜い男に向かって、男たちがみかんをのようなものをぶつける遊びだ。一体あれはなんなのか。

◆射撃

「なにか撃ちに行きましょう」と気晴らしでもするように、鳥の射撃に興じるサラ。射撃に誘われて、最初は若干気おくれしたそぶりをみせていたアビゲイルであったが、宮廷でのアビゲイルのステップアップにつれて、射撃のスコア、命中率も、サラと肩並べるまでになる。

この、サラとアビゲイルの射撃のスコアが、ふたりのそれぞれの宮廷内でのアン女王をめぐるスコアとシンクロしているかのように描かれる。

象徴的なのは、ついにアビゲイルがアン女王に取り入り、性的な関係にまで及び、サラよりも優先され指名されるようになった時、アビゲイルが撃ち落とした鳥の返り血がサラの顔にべちゃりとかかる描写だ。

そういえば、この鳥を放って射撃する遊びみたいなやつ、現代を舞台にした映画でも麻薬カルテルのボスとか、そういう悪い組織の首領がやっている描写よく観る。

◆薬草

アン女王に取り入るため、そして、サラをクリティカルに突き落とすため、という決定的な場面で「薬草」を駆使するアビゲイル。それは、「魔女と薬草」を関連付ける、示唆的なものであるだろうか。

◆敵をたたきのめすことのリスク

序盤でハーリーを追い詰めた時、サラは「有力な味方は危険な敵となる」って警告される。

敵を排除しても、それは根本的な問題を排除したことにはならない。より不安が増したり、また別の問題が顔を出したり。

お互い叩きのめしあうことで、勝った方も得をしない。

振り子の法則で、攻撃が激しいほど、返ってくるものも激しくなる。

映画としてはそれがドラマチックで面白いわけだが、現実の生活では気をつけたいものだ。

◆うさぎ

最後、ピンクフロイドの「夜明けの口笛吹き」のジャケットアートみたいな感じで画面一面に「うさぎ」で埋め尽くされる画面。勝ったのはアビゲイルか、それともサラか。サラが去って魂ぬけたようにふぬけになるアン。

愛に満たされない女王、最後に画面覆い尽くすうさぎは、愛への渇望、満たされなさの象徴。

誰よりも愛を求めた結果、愛から遠ざかる。

◆で、どうなのかこの映画

主演の3人の女性のキャラクター、演技が素晴らしい。立場乗っ取りモノなシンプルな話であり、なにか教訓めいたものが読み取れるような、寓話性も高い映画である。衣装、小道具、構図、ちょっとした言動の中に、作り手が意識的に込めた意図や、無意識に含まれたなにかが見え隠れし、繰り返しの鑑賞に耐える作品。ヨルゴス・ランティモスの過去作と繋げて一気に観るムービーマラソンがしたくなる。

3月は賞レース作品やら春休みにぶち当てた大作やらの封切りが押し寄せる季節。映画館に通って、グッドライフを送りたい。

魂の救済、ドラッグからの社会復帰の一助は、映画を観る行為の中に。

 

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