ふと出て来るもの

今年もだいぶ寒くなってきた。

季節の変わり目、冬仕様の上着に袖を通すと、前の冬にポケットに入れたままにしてたものがでてくる。

もう期限が切れてるうどん無料引換券。
レイトショーの映画の半券。

それらは、通常、いわゆるゴミに分類される。普通なら、見つけて、すぐに捨てる。

しかし、なんとなく、そのままそっと、ポケットに戻すことがよくある。

昔から、ものをためこむ癖がある。ゴミと思われるものも、取っておいたり。使えるんじゃないか、という思いで取っておくものもあれば、もう限りなくゴミに近いものでも、よくわからない情がわいて、捨てられない。

そんなちょっとしたガラクタでも捨てない様子をみて、いつかゴミ屋敷に住むことになるぞ、と親は息子の将来を案じ、嘆いていた。

もう着ない服でも捨てたり売ったりせずにとっておいたせいでいよいよ衣装ケースがパンクしていた頃、思い切って一気に売りに出したことがあった。店に持っていく前に内容を友人にチェックしてもらったが、その中に穴の空いたパンツがあり、こんなもの持っていくと大変なことになる、とたしなめられた。下着はアウトだし、しかも、穴が空いてるのは、完全にゴミだ、古着とゴミは別物だ、と諭された。

しかし、それが客観的にみて古着という価値を持つものであれ、ただのゴミであれ、長い時間それを使用し、時間を共にし、なにかしらの愛着がわいているものであることに変わりはない。

トイストーリー4を観て、グッときて、胸にこみ上げるものがあったのは、 かつては子供に遊ばれたおもちゃも、もう見向きもされなくなれば、ゴミとして扱われてしまう、ということが描かれていたから。ゴミというレッテルが貼られてもなお、おもちゃたちには心があるのだ。 劇中で、完全にゴミであるが心をもったキャラとして、使い捨てスプーンのやつが出てくるが、あいつの存在は、穴の空いたパンツに近い、価値のあるゴミと価値のないゴミについて考えさせる味わい深さがあった。

コンマリ、ミニマリストは、ときめかないものは捨ててしまうという。最低限のものに囲まれて、可能な限り電子化して、クラウドに所有して生きる。 立派なことだと思うし、洗練されて、カッコいい生き方だと憧れる。しかし、自分にはできそうもない。

デジタルは、一瞬で死ぬ。 バックアップを取っておけば生き返るとはいえ。死ぬ時は一瞬。0か1か、それがデジタルだ。 名残惜しむ暇さえ与えてくれない。例えば、昔の恋人と交わした手紙や、撮った写真。ものとして残っていれば、それを燃やしたり、捨てたりする際に伴う面倒くささ、かかる時間が、思い出の供養のスピード感として、ちょうどいい。デジタルの写真やメールのやり取りは、ワンクリックで一瞬で消える。どこか、煮え切らない気持ちだけ、宙に浮かぶ。

いずれゴミになる、いずれ邪魔になる、だからこそ輝く、だからこそ愛着がわく。

捨てるところまで含めて、思い出。

私は、一度ポケットにもどした期限切れのうどん一杯無料券をもう一度取り出し、火をつける。燃えて消えていくのを見つめながら、過ぎ去った日々に思いを馳せている。

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