ふんどしを茹でて暖を取る日々の読書の記録 
萩原慎一郎 歌集「滑走路」を読んだ。

2020年、4月以降あたりからの記憶があまりない。コロナ禍の中で、あっという間に時間が過ぎてしまった。なにかしていたといえばしていたし、していなかったといえばしていない。気が付けばもう12月。

職も失わず、大病もせず(健診でひっかかり、人生初の胃カメラを経験したりはした)、コロナにも罹らず、2020年の終りへ向かえているのは喜ぶべきなのだろう。 

半ば無理にひねり出すようにして、なにかとりあえずアウトプットをし続けようとブログ記事みたいなものを書いていたのも、今年の春くらいになんとなく止まってしまっていた。

2020年も終わろうとしている今、あらためて、なんか書いていきたい。 

そんな気持ちにもさせられた、本のひとつ、

萩原慎一郎 歌集「滑走路」。

Amazonの本紹介のとこでは、

“NHKニュースウォッチ9で「非正規 歌人が残したもの」として紹介され、大反響。”

“いじめ、非正規雇用、逆境に負けず それでも生きる希望を歌い続けた歌人がいた。32歳で命を絶った若き歌人の絶唱を収めた短歌集”

などと書かれている。 

 
たぶん、上のような紹介をAmazonでみていただけなら、別に手にとってもいなかったと思う。 

この本に出会ったのは、本屋。新宿のブックファースト。

何気なく、短歌・詩集のセクションを眺めていて、平積みにされていたこの本が、目に入った。帯に書かれていた、32歳の絶唱、というところが気になったのかもしれない。 

どんなもんか、とペラペラ立ち読みしているうちに、気がつけば、引き込まれ、レジにぶち込んでいた。 

部屋に戻り、穴蔵のような住環境の暗闇でページをめくっていると、その、時として驚くほど平易な言葉で、31文字に込められた、日常の風景、心情の描写が心に刺さりまくってきた。 

短歌というものに普段触れることもあまりなかったが、「滑走路」のなかの短歌は、31文字で、何ページもスクロールするTwitterのタイムラインよりも、おびただしい量のネットニュースのコメント欄よりも、心のなにかを満たし、豊かな情景を思い浮かべさせてくれた。 

20代後半くらいの、なにかやりたい焦燥感もあれば、現実的な落とし所、あきらめ感、それで別にいい感もある、「第2の思春期」特有の青臭さ、10代のそれとはまた違った感じが、痛切に感ぜられた。

例えば、「滑走路」の中に、こんな歌がある。

「ぼくたちの世代の歌が居酒屋で流れているよ そういう歳だ」

いわゆる懐メロというものに対する、複雑な心情。 
え?この曲ってもうそんな前だったっけ?と気づかされる時の、なんとも言えない感じ。そういう心情の機微が、31文字に込められている。

非正規、いじめ、という境遇にフォーカスが当たっているが、この歌集を読んでいて、そこから連想される重さや暗さは感じない。

個人的な感傷や感動や忸怩たる思いが、平易で赤裸々な言葉で31文字に練り上げているからこその、普遍的に感じられるやるせなさ、なんともいえない気持ちが、歌に宿っている。

例えば、こんな歌もある。

「腹ぺこのおなか満足させてくれ 牛丼屋にて大盛り頼む」

「食べるならおいしいものが食べたいな 昼は牛丼屋でいいけれど」

牛丼屋、という言葉。そこから浮かべる風景には、親しみと、幾ばくかの惨めさがある。しかし、これらの歌は、そんな牛丼屋が存在感の幅を効かす日常を、優しく照射してくれているように思える。

人生はハードだ。
ホークスの日本一とディズニーランドでは、なにか満たされないわたしやあなた。

萩原慎一郎 歌集「滑走路」、おすすめです。

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