2020年も、たくさん映画を観て過ごした。
2019年より映画館に行く回数も減った。観る本数も減った。昔の映画を観ることも増えた。
つらい1年だった。
しかし、映画に楽しませてもらい、勇気づけられ、大切なことはなにかを、何度も教えてもらった。
2020年公開で、観たもので、よかった映画を、10本、選んだ。
■10位 ミッシングリンク
すごいストップモーションアニメを世に送り続けているスタジオライカの最新作。
ストップモーションアニメとしては初のゴールデングローブ賞もとったとか。
舞台はヴィクトリア朝のロンドン。人類の失われた環、ミッシングリンクの謎を追っていく冒険譚であり、好奇心あふれる変人英国紳士ライオネルと、未確認生物、ミスター・リンクの、デコボコバディもの。
その好奇心の強さゆえに、どこか変人扱いされているライオネル、存在そのものが異端なミスターリンクは、なんだか、鏡像関係。それぞれが、仲間内に認めてもらうため、というところからの、飛躍、さよならしていくカタルシスに、グッときた。
人生はさよならの連続で進んでいく。どういうさよならをしていったかが、自分らしさ、と呼べる、自分の輪郭を形作っていく。今年のベストにあげた作品には、そういう描写が特徴的にあったように思う。
ストーリーもさることながら、実際の物体を動かしているゆえの、重さ、を感じさせる、ストップモーションアニメの見応えも素晴らしい。今作ために作られた、顔、は106000個だという。とんでもない労力がかけられている。それが、原始的でありながらいままでみたこともないような、アニメーションの楽しさに結実しているのがこれまたすごい。特に、ミスターリンクの表情、動作、全てが愛おしく、いつまでもみていたい気持ちになった。
■9位 1917 命をかけた伝令
アカデミー賞で、撮影、録音、視覚効果の3部門を受賞した作品。巨匠サムメンデス監督で、ロジャーディーキンスの全編ワンカット風の撮影も話題となっていた。
舞台は1917年、第一次世界大戦のまっただ中。イギリス兵のスコフィールドとブレイクは仲良しで、木に寄りかかり一緒にうたたね。そんな二人に、最前線の味方に、作戦中止の伝令を伝えてこい、という、地味だが、極めて危険な任務が言い渡される。間に合わなければ、たくさんの仲間が死ぬ。覚悟を決める決めないの余裕もないまま、ミッションは容赦なく動き出していく。
動きだしたらもうとまらない、地獄めぐり。ワンカット風のカメラがそれを臨場感バリバリに伝えてくる。
スコフィールドとブレイクの、お互いを支え合う、見る、見られる、の関係性のドラマが、前半に濃厚に描かれるからこその、後半の、スコフィールドの、ミッションへの使命感の切実さが、痛切に感じられて、ひきこまれた。
最後まで映画を観て、スコフィールドが、ブレイクを見て、やり遂げて、それをブレイクも見ていたのだと、思った。極限状態で人間が限界を超えるのは、大切な誰かへ向ける目線、大切な誰かから向けられている視線があってのことなのだろう。そのことにグッときた。
IMAXで観たが、没入感ハンパなかった。映画館で映画を観ることの意味を問い直すような映画体験のひとつとなった。
■8位 燃ゆる女の肖像
監督のセリーヌ・シアマはカンヌで、脚本賞と、クィア・パルム賞の二冠に。シャーリーズセロンが、4回観た、と述べ、ブリーラーソンに、50年後にも残る映画、と言わしめた。批評家筋からも評判がいい作品。
18世紀のフランス、ブルターニュの孤島が舞台。とある貴婦人に、娘のエロイーズの嫁入りのための肖像画を描くように頼まれ孤島の屋敷にやってきた、画家、マリアンヌ。エロイーズとマリアンヌ、描かれる対象、描く側、の間で燃ゆる心のドラマ。
マリアンヌがエロイーズをみて、エロイーズがマリアンヌをみて。交わされる視線。ふたりの、お互いへの興味、引力を感じている様子が、目線で、語られる。この、目線のやりとりで、関係性を深めていく描写に、グッときた。
最後のシーンが意味するものはなんなのか、それを考えるほどに、また、観たいと思わされる。 マリアンヌはずっとあれからエロイーズを見てきたし、エロイーズも、見てきたのだろう。物理的に近くにおらずとも。
暖炉で薪がパチパチ爆ぜる音、波が打ち寄せる音。感情の高まりを、それらが静かに、力強く伝える。余計なBGMを排除した音の演出によって、ASMR的な癒し、没入感を感じた。劇中で重要な意味を持つ、ヴィヴァルディの曲を、ドバーンと流すのも、他の場面で抑制が効いているからこそ、効果的かつ印象的に響いていた。
このご時世の前に撮られた映画とはいえ、奇遇にも、マスク、が、一線を越える時の、もう戻れなさ、高まりを盛り立てる小道具として機能する場面には、心高鳴った。性描写も、直接的すぎず、それでいてエロチックかつロマンチックで素敵だった。
18世期の、今の感覚に照らし合わせても人権無視な感覚の状況の中、登場する女性たちの自由や尊厳への意識は2020。そのことで、浮き彫りになるなにか。旧い感覚に、おさらばを。
■7位 ブックスマート
製作総指揮が、俺たち、シリーズのアダム・マッケイとウィル・フェレルという安心印。監督、脚本、主演の全てが女性主導でぶちあげている。痛快最高な青春コメディ。
卒業式を翌日に控えたタイミング、勉強に学生生活を費やし、その結果いい進路を勝ち取ったと、優越感に浸っていた、親友のモリーとエイミーの二人だったが、他のパーティ三昧なやつらも、いい大学やいい仕事に進むことを知り、驚愕する。残された高校生活、パーティして取り戻してやる、と決意する二人であったが…
これは、ダサい女の子たちがダサくなくなるとかそういう話ではなく、友情についての話。一貫して二人とも楽しい、クールなのはふたりの間では周知のこと。それを、知らしめてやる痛快さと、その中で浮かび上がる二人の友情の尊さに、グッとくること必至の映画。
真面目に遊ばず勉強してる人にユーモアがないわけでもなく、パーティーで遊んでる人が真面目に勉強してないわけでもない。ステレオタイプを超えたところの人間が描かれていた。人を決めつけて遠ざけてはいけない。凝り固まった固定観念とさよならして、パーティを続けよう、という、価値観のアップデート、人生の肯定の映画である。
アパトープロダクションのこじらせ男子校のノリを女性に反転させた感じ、との見立てもあったが、まさに。多様性、先進性がありつつ、コメディとして、純粋におもしろいつくり、お涙頂戴に終始しない話運びも、品がある。
■6位 佐々木、イン、マイマイン
2016年の長編映画、ヴァニタス、が初の長編にして、PFFアワード2016観客賞を受賞した内山拓也監督作。今作で、佐々木、役を務める細川岳の、高校時代の同級生とのエピソードが原案。藤原季節、萩原みのり、遊屋慎太郎、森優作、小西桜子、ら、出演。
別れた彼女と、だらだら同棲を続け、役者の道も中途半端。煮え切らない日々を送る石井ユウジ。偶然久しぶりに再会した高校時代の友人、多田、と話す中で、佐々木、という男について、思い出す。佐々木、ユウジ、タダ、キクチ。青春の日々。その日々を映し出す中で紐解かれていく、佐々木と佐々木の父親との微妙な関係、そして、四人の中でも、ユウジと佐々木の間には、より深く、なにか心通わせるものがあったということ。
佐々木との思い出と、いまが、交錯しながら、ある決定的な出来事に向かって進む。
映画的に疾走して意味を超越していくクライマックス。心が持っていかれた。これは佐々木についての映画であり、ユウジの物語であり、それを観て、観る者は、なにかしら己を投影してしまう映画体験。自身の過去に、それぞれの佐々木、を探してしまう。そして、なにかにさよならして、前に進んでいくことにも、向き合わされる。
タバコをくゆらせ、言葉にならない感情を表現する演出、細かい、印象に残る人物描写、小道具の使い方の数々。監督の確かな手腕を感じさせる、ロジカルに組み立ててられた脚本や演出があるからこそ、怒涛の、意味を超えたクライマックスが鮮烈に印象づけられた。
■5位 ストーリーオブマイライフ 私の若草物語
ルイーザ・メイ・オルコットが19世紀アメリカを舞台に描いた、自叙伝的小説。若草物語。グレタ・ガーウィグが「女性がアーティストとして生きること、そして経済力を持つこと。それをスクリーン上で探求することは、今の自分を含む全女性にとって、極めて身近にあるテーマ」との考えのもと、監督、脚本を手掛けた。シアーシャローナン、エマワトソン、ティモシーシャラメ、フローレンスピューら、出演。
マーチ四姉妹の次女、ジョー・マーチは、小説家を目指し執筆に励む。姉のメグは、女優の才能がありながら、望むのは幸せな結婚。妹のベスには、病と言う壁が立ちはだかる。さらに妹のエイミーの野心。4人の選択と決意が描く、物語が、セピア色の過去とその未来を織り交ぜ展開。マーチ四姉妹、青春時代の総括。
選択するということは、ほかのありえた可能性と、さよならしていくということ。何者にもなり得た時代から、なにかをつかみ取り、何者かになっていく青春の時代の様子は、いつだって、切なく、それでいて、人生における大事なことを伝えている。
そして、金のための結婚か、愛のための結婚か。主人公の4姉妹が向かいあう問題。ジョーが描いた物語、結末にケチをつけられ「フィクションの中でさえ、結婚は経済的なものなのね!」と痛烈な皮肉も飛び出す。「結婚だけが女の幸せ、ってそんなわけあってたまるかよ! でも、たまらなくさびしい! 」というジョーの叫びの切実さ。それら振り切るかのように、執筆していく、物語。
本が製本されて、出来上がっていく様子に、いろんなことが込められていた。抑圧や、旧い考えに、さよならを。
ティモシーシャラメの魅力炸裂。文学的美少年の魅惑っぷりも堪能できる作品。
■4位 透明人間
ユニバーサル映画の有名キャラ、透明人間、を、これまでのイメージを大きく覆し、女性目線で描かれる現代にこそふさわしいアップデートで、サイコサスペンスに仕立てた作品。ブラムハウスプロダクションが製作に関わり、リー・ワネルが監督、脚本、製作総指揮。主演は、エリザベス・モス。
深夜3時。睡眠薬で男を眠らせ、逃げ出す女、セシリア。抑圧的状況からの脱出。ギリギリのとこで、抜け出し、その後、男は自殺したと聞かされる。平穏が戻ってきたかにみえた。しかし、なにか、視線を感じる。おかしなことが起こる。著名な光化学者でありソシオパスな男、エイドリアンが、ついに透明人間になりやがったのだ、とセシリアは気づく。しかし、傍目にみれば、セシリアが頭おかしくなり、見えない敵と、自作自演で戦っているようにみえる。どんどん孤立していくセシリア。ひとり、エイドリアンと対峙する中、逃げ出してきた、エイドリアンの根城に、なにか彼の透明人間の物証があるのではと、向かうセシリアであったが、そこで彼女が目にしたものは….
男性支配からの、さよなら、を、極上のサイコサスペンスでハラハラさせつつ、痛快なリベンジ劇でキメる。作品が伝えるメッセージも素晴らしければ、ジャンル映画としてもめちゃくちゃおもしろく楽しめる。インダストリアルかつおどろおどろしい劇伴も最高であった。
セシリアの透明人間との戦いの様子は、精神異常で、まさに、本当に見えない敵と戦っているだけなのでは?と思わせる塩梅が素晴らしい。そこにいるのではないか、しかし、姿は見えない、というサイコな恐怖。透明人間モノの醍醐味が詰まっている。
■3位 ブルータルジャスティス
新食感なバイオレンスものの作品でカルト的な人気を博す、S・クレイグ・ザラーが監督を手掛けた、メルギブソン、ヴィンス・ヴォーンが演じる刑事バディが繰り広げる、クライム・アクション。
メルギブソン演じるベテラン刑事ブレットと、ヴィンス・ヴォーン演じるその相棒のトニー。悪いやつかまえてたら、その過度に暴力的な様子動画とられて、6週間の謹慎。同期のあいつと俺の差、も痛感させられ、娘もいじめ受け、妻は病気。金がいる。ということで、一攫千金を狙い、犯罪者から金を強奪してやろう、と、思いきった計画を実行していくが…
映画の中の多くの時間が、ブレッドとトニーが、張り込みをしている時間で費やされる。特になにも起きず、独特のテンポ感の会話が、ひたすら繰り広げられる。この異常性が、新食感になっていて、この味わいが嫌いな人は、クライマックスにたどり着くまえに、眠りに落ちること必至。実際、張り込み中、ブレッドがいびきを立てて寝ている。そのいびきや、張り込みの車内でトニーが食べるチキンの咀嚼音や鼻息が、ASMR的な不思議な心地よさをもたらす。特になにも起こらず会話してる時間が長いのだが、しかし、なにかやばいことが起きるんじゃないか、不吉な緊張感も張り詰めているから侮れない。
この張り込みの様子の、どこか一定の場所に潜伏している感じは、コロナ禍の中で、ステイホームの時間が長くなっていた今年の日常と、リンクしてくる部分もある。その潜伏、張り込みの時間の濃密さこそが、この映画の、グッとくるところの、大きな部分を占める。
後半の怒涛の展開も、見応えは十分だ。激しくバイオレンスが繰り広げられる。ブレットは、結果的に、いろんな自分と、さよならしていくことになる。 ひとつひとつの決断が、自分の未来を形づくっていく。観ていて、自分がブレットの境遇ならどうするだろうか、と、辛い妄想をした。
メルギブソンが、リボルバーに弾を装填しているポーズ、装填の音、かっこよかった。
そして、オリジナルスコア、よかった。ショットガンサファリ、が頭から離れない。
映画の原題は、Dragged Across Concrete。コンクリートをひきずりまわされ。 この映画に、ジャスティス、つまり、正義、はない。追い込まれた者たちの、選択と、因果がある。
2時間半くらいあるが、節目節目に、観かえしたい作品。
■2位 のぼる小寺さん
同名漫画の実写化。主演の小寺さんを演じるのは、工藤遥。実際に、3カ月のトレーニングを経て、ボルダリングに臨んでいる。監督は、古厩智之。脚本には、吉田玲子。
ひたむきに壁にのぼる、クライミング部の小寺さん。クライミングを職業としたい小寺さんは、進路調査表を白紙で提出。同じく、進路調査表を白紙で提出する、近藤、四条、倉田、めがねのカメラ女子ら、小寺さんののぼる姿をみつめる中、それぞれに、変化が訪れていく。青春群像劇。
なんとなく常に客観視で、打ち込むものもなかった近藤(演じるのは伊藤健太郎)、学校行かずチャラく遊んでたクラタ、とにかく自信のなかった四条、カメラに興味があったが友達との付き合いみたいなのを優先させてためがね。それぞれが、のぼる小寺さんの背中を見つめる。
小寺さんはなぜのぼるのか。難しい議題を打ち落とすため。勝つため。でも、結局、勝ち負けじゃない。そのひたむきさ。なんか泣けてくる。
小寺さんの背中をみて、感化されたそれぞれが、それぞれの壁をのぼる。決してすぐにうまくいくわけではない。学び、つまずき、工夫して、やっていく。
ひたむきに壁に向かう人の背中は、人を動かす。傍観者だった自分と、さよならをしていくことは、いつだってドラマチックで感動的。
■1位 ランボーラストブラッド
ランボー、最新作。
前作の、最後の戦場から10年。いろいろあったが、馬の世話をし、世話してくれる女性と、その娘と、平穏な暮らしをしていたジョンランボー。どういうわけかトンネルを掘り、あなぐらで寝起きしている。そして、いまでもフラッシュバックする、あの頃の記憶。The doorsのFive to Oneを流し、眠る。
娘のように可愛がる、ガブリエル。ちゃんと育ち、大学へいく。しかし、ガブリエルのもとに、電話がはいる。父親が見つかったと。メキシコにいる。会いに行きたいというが、ランボーは大反対。しかし、行ってしまう。
いろいろ、悲惨なことが続き、悲しみにくれ、鬼となるランボー。あいつらに、死が迫る悲しみ、恐怖、同じ思いをさせてやる。淡々と、確実に、冷徹に、抜かりなく、殺すための、準備をはじめるランボー。壮絶なリベンジ が幕を開ける..。
度を超したショック殺戮。なにも終わっちゃいない。罠を仕掛け、徹底的にやる。こんなにも徹底して、周到な準備で、圧倒的な、復讐劇のドラマはみたことない。復讐劇、ここに極まれり。
その前の序盤、あなぐら暮らし、潜伏して暮らすランボーの様子にも、コロナ禍での、ステイホーム、ソーシャルディスタンスな日々が、重なってきて、切ないのも、見どころ。
ランボーが、復讐の連鎖からさよならできていれば、違った未来があったのでは、とも思う。いや、しかし、いろいろなことが、手遅れであっただろうか。
ラストブラッド、ということだが、ランボーという物語の続きが観たい。破滅以外の道を行くランボーを。しかし、それはもはやランボーではないのかもしれない、復讐と破滅の姿を通して、なにごとかを観る者にぶちこむランボー。
たとえそれがランボーとは呼ばれないものになったとしても、ランボーには、幸せになってほしい。
2021年になって、なにかいいことあるだろうか。それは、主体的につかみとっていくものか。人生はハード、と言っていられるうちは、まだソフト。
とりあえず、もっとアウトプットしていけるように頑張ります。
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