ふんどしを茹でる日々の映画感想 ハイフォン ママは元ギャング / ショーガール

備忘録のため、己を奮い立たすため、観た映画についての感想を定期的に書き残していきたいと思う。

1週間に二本を目標に。

■ ハイフォン ママは元ギャング (2019)

Netflixで観た。After 6 Junctionのスタントウーマン特集の中でおすすめされていたのをきっかに。https://open.spotify.com/episode/0ivRqU60bi8E4Dpka2lNL1?si=bMyCQKBSQVG7r2NsfMX-nA

人身売買集団に娘を誘拐されたハイ・フォンが、かつてギャングな生活をしていたサイゴンへと戻り、娘を救い出すべく奮闘する。

なかなか見応えあった。

華麗に舞うように殴る蹴るのアクションが観ていて痛快でありつつ、娘を守る母の底力を見せつける執念の救出劇に、心打たれつつ、ハイ・フォンを演じた主演のゴー・タイン・バンの身体能力の高さに驚かされ、その凛として強い表情と発する気に圧倒された。

焦げてまずそうなメシもまたご愛嬌な食事シーン、サイゴンのストリートのエキゾチック感も、見どころ。

■ ショーガール (1995)

DVDで観た。ポール・ヴァーホーベン監督作品。エリザベス・バークレイ主演。カイル・マクラクラン、ジーナ・ガーションら出演。

トップダンサー目指し、ラスベガスへやってきたノエミが、虚飾とドロドロの人間関係の中、栄光をつかもうと突き進む。

面白かった。

ショービジネスのヤクザな世界、トップレスは当たり前なセクシャルな描写がめくるめく中、下品低俗という誹りを受けるのもわかるが、しかし、今作が伝えてくるのは、女性を性的に消費しようとする男たちへの拒絶であり、エリザベス・バークレイ演じるノエミの立ち振る舞いやイズムは、職業としてのダンサーのプライドを感じさせる。

グレン・プラマー演じるダンサー、ジェームズ、の、ダンスには純粋な気持ちを込めてる部分は本当にあれども、結局はお前そういうことか、なエピソードも、切ない。

いわゆる、枕営業、の因果や、ライバルを蹴落とし、這い上がることの、後味の悪さも描かれている。

特筆すべきは、出てくる男みんなクズ、だということ。ノエミをはじめ、懸命に生きるダンサーたちの闘う姿、戦いのダンス。世の中のレビューよりも、まずは自分で観てなければ。

2月もすぐに過ぎていきそうだが、日々、世界は変わり続ける。ゴーストオブツシマをはやくクリアしなければ。

男の雑文 ペアーズ有料会員になった話

プロフィールアップして初期ポイントである分だけいいね連打してしばらくすると、相手からのいいねが届いていた。

「よっしゃ!」と思ったが、自分からいいね!していない人で自分の写真も載せてない女性だった。
怪しいとは思ったがとりあえず初マッチング成立〜!

と思ったのも束の間、
初マッチングから60分以内に有料会員になると月額料金が〇〇%お得のメッセージが!

足下みやがって、ぐぬぬ。
しかし有料会員にならないとメッセージのやりとりができないようなのでググってこのタイミングで入会すべきか調べる。

そうするとこのタイミングの入会が最安みたいなのは確かだが、アプリから入会するよりもweb版から入会した方がさらにお得という情報が!

そして3か月より6か月、6か月より12か月まとめて入会した方がお得〜^_^

という事で12か月まとめて入っちゃいました!

この選択がのちに悲劇をもたらすとは知らずに•••

つづく

男の雑文
アラフォー、ペアーズを始める。

どーも人工知能知能3号です。
人工知能ブログが止まってはや数年。
動きます。

このあいだ丸亀製麺という若者に人気のうどん屋で孤食をしていると隣の若者グループがペアーズの話をしていた。
マッチングアプリと聞くと我々アラフォー世代はリアルで出会えない恋愛ヒエラルキー最下層の男女が使うやばいアプリだというイメージだが、現代の若者達にとってはそうではないらしい。
隣の若者グループも渋谷に普通に歩いていそうなリア充な若者たち。
コロナ禍で不況になると風俗嬢のレベルが上がると語って炎上した岡村ではないが、コロナ禍の巣篭もり需要でマッチングアプリを利用している人達の数が増え相対的に利用者のレベルも上がっているのではないかと考えた私はここがラストチャンスとばかりに行動に出た。

まずはプロフィール作り。
特に写真は最重要事項。
ラッパーの林也寸夫が「人は見た目が10割」と歌っているくらい真理だ。
林也寸夫信者で良かった。
本来なら第三者に撮ってもらった自然な写真がベターらしいのだが、一刻も早く登録だけはしておきたいと思っていた自分はその場で自撮り写真を撮ることに決めた。

駄菓子菓子、
こういうマッチングアプリで痛いのが自撮り写真をプロフィールにしている人達。
特に30代以上の年齢が高めの利用者ほど自撮りアップ率が高くなり、ドアップの写真が多くなる。
何かを隠そうとしてドアップにしているのだが知らんが、中年のドアップほどキツいものはない。しかもそういう人たちに限って無加工なのがさらに痛い。
加工は化粧と同じで礼儀だぞ!

幸い自分はAdobeのコンプリートプランに入っていたのでLight roomを使って加工する事ができたのは良かった。
自撮りに見えてしまっているのは頂けないが、痛い自撮りにはなるまい。
これできっちり作りこんでロケットスタートだ🚀

と冗長気味にプロフィール写真について語ったが、めんどくさくなってその場で自撮りして加工して上げた。

あとは自己紹介文も適当に、年齢は少し若く、年収などは2割ましにしてGOだ!

つづく

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ふんどしを茹でる日々の映画感想 劇映画 沖縄 / 裏窓

備忘録のため、己を奮い立たすため、観た映画についての感想を定期的に書き残していきたいと思う。

1週間に二本を目標に。

今週の二本。

■劇映画 沖縄(1969)

DVDで観た。去年ゲットして、そのまま積んであった状態のやつをようやく。

日本へ返還される前の沖縄を舞台に、故郷を奪われた人たちと労働者の苦悩と怒り、熱い戦いを描いた長編映画。武田敦監督、山本薩夫製作。

とても見応えがあった。

権力者の都合の正しさで弱きを殴ることの、正しくなさ、を思った。返還前沖縄で撮影のモノクロドキュメンタリータッチな映像も圧巻。生命力溢れる地井武男も良かったが、一番憎い悪役の戸浦六宏が素晴らしかった。

DVD特典の復刻パンフの中の、戸浦六宏のコメントがこれまた興味深い。民衆が権力者に対して立ち上がり、うろたえた権力者が御伽噺の鬼のように去っていく、というのは、現実の沖縄の問題の複雑さ切実さを捉えていない、と脚本の改訂を提言、それが反映された、と。

お伽噺のように鬼が退散する形で収束するのではなく、現実の世界で、今でも、沖縄での理不尽、抑圧は続いている。沖縄基地問題を描いた映画のルーツと呼ばれる今作の、その熱に触れ、現在の諸問題に考えを馳せるという意味でも、意義深い作品に思う。

苦しい状況の中で、忸怩たる思いを抱えふんばる者、新天地に希望を求める者、そして、長い物に巻かれて威張り散らす者。同じような状況に置かれて、自分ならどうふるまうか、考えさせられた。

後半、アメリカの民主主義の理念に訴えかけるも、無情な判決を受ける展開には、アメリカンニューシネマのそれのような乾いた絶望感、無力感があった。こういう映画こそ、海外で観られてほしい。 
 

■裏窓(1954)

Blu-ray吹き替えで観た。みるぞみるぞ、と去年くらいから思いつつ、観れていなかったのを、やっと観た。アルフレッドヒッチコック監督の作品。ジェームズスチュアート、グレースケリー、主演。 

撮影中の事故で骨折してステイホーム中のカメラマンが、窓から見える近所の人間模様を覗き眺めてるうちに、殺人事件なのでは、という場面を目撃し、恋人のリザとともに、さらに覗きしながら探偵めいた調査を進めていく。

なかなかに見応えがあった。

思っていた以上にステイホーム映画だった。主人公の骨折カメラマンは家から出ずずっと窓から近所の人のプライベートを覗き見。今でいうとこの、家から出ずにTwitterのタイムラインひたすら追うみたいな感じにも通じる。立体的な建物のセットが圧巻だったが、あんなに覗き見させられるくらい、あんな窓みんな開けるか?とは思った。いくら猛暑だからって。

アップの後になにを写すかで、アップになった人の印象が変わるという、モンタージュ理論が応用された、覗き見している主人公と覗いている対象の交互の映像は、古典的なテクニックでもありつつ、映像っておもしろい、映画っておもしろい、という根源的な楽しさの部分を伝えてもいるようにも思った。映像編集の基本中の基本のテクなのだろうが、youtube動画ばかり観ていると、こういう映画らしい映像編集こそ新鮮で斬新に感じられる。

Blu-rayは、2013年に出たユニバーサルのやつを観たが、ナイスな吹替もあるし、特典もメイキングやインタビューなど充実していて、配信ではなくソフトで過去の名作を観る上での理想的なパッケージといった印象。

グレースケリー扮するリザが、部屋の中のプライベートな空間でもずっと、パーフェクトな装いとヘアスタイルとメイクをキープしているのは、生活感がないな、と思ったが、よくよく考えてみると、「生活感」とはいったいなんだろう、とも思い至ったり。

散らかった部屋を、生活感のある部屋、とも言うが、泥棒が入った後くらい散らかっていれば、それは生活感のある部屋ではなく、犯行現場であり、つまりは、程度の問題なのだろうが、では、どれくらいの程度でこなれていたり散らかっていれば、生活感、と言えるのか。

生活、として許容できる程度はその人それぞれであり、共同生活などにおいては、その許容できる生活感の程度で、もめごとも発生する。グレースケリーのあまりの美しさに、生活感がない、と思ったが、それは失礼な話で、生活とは当人にとってそれぞれ基準があるものなのだ。それに、映画の中では、いつまでもだらだらと結婚をきめかねている骨折カメラマンと、結婚するならさっさとしたい、というグレースケリーの関係もある。いつも美しく画面に映るグレースケリーを、生活感がない、というのは、あらゆる意味で、浅はかで、わかっていないということになるのだろう。

現在、2021年2月。
緊急事態宣言も延長で、先が見えない。 
来月には、東日本大震災から、10年の節目を迎える。ただ時間は流れているようでいて、確実に変化している。 

日々に句読点を打つように、カルチャー摂取していきたい。

ふんどしを茹でる日々の映画感想 ミッドナイト・スカイ / 下女 

備忘録のため、己を奮い立たすため、観た映画についての感想を定期的に書き残していきたいと思う。

1週間に二本を目標に。

今週の二本。

■ ミッドナイト・スカイ / The Midnight Sky

Netflix で観た。ジョージ・クルーニー監督、主演の作品。世界の終わりの天文台(Good Morning Midnight) 、という本が原作。

舞台は2049年。北極圏にひとり生き残った科学者。地球はもう住める状態ではないこと、その範囲は地球全体に及んでいることを知り、帰還途中の宇宙飛行士に伝えるべく、奔走する。やがて、孤独な科学者の魂の救済。

まぁまぁ面白かった。

ポストアポカリプスSF。生き残りのジョージクルーニー演じるヒゲ面の科学者が、広い食堂みたいなところで、義務的に、虚無な様子でメシを食い、ひとりチェス、ひとり酒に興じる。かろうじて生きているという様子。ステイホーム。ひとりきり。哀愁もあるが、しかし、絶望感が強い。ほかに人がいて、ひとりで過ごすのと、本当にひとりしかいなくて過ごすのでは、違う。ZOOMはあっても、やる人もいない。そんな中、人の気配がして、まさか、となる展開では、ジョージクルーニー、はからずもちょっと嬉しそうであった。

対して、地球がやばいことになっていることを知らない宇宙船の中の人々の様子は、どこか楽しげで明るく活動的。船外活動も、歌なんか歌っちゃったりして。しかし、なんとなく緊張感があり、もしや、と思っていると、大変な展開にもなる。
宇宙で液体はこうなるから、人体から出たものもこうなるのね、と。

終末モノであり宇宙モノでありスケールのでかさの印象を与えながらも、クルーニーが決死の、帰ってくんな!を伝えることがメインの比較的地味な話。しかし、やがてかすかに希望が灯るくらいの塩梅が、夜中に部屋を暗くして観るのにちょうどいい感もあった。

北極の様子がとにかく寒そうなので、冬に観るなら部屋を暖かくして観た方がいい。

世界の終わりの天文台、をむしろ読んでみたい気持ち。

■下女/ 하녀 /THE HOUSEMAID

韓国の鬼才と言われるキムギヨン監督、1960年の映画。Blu-rayで観た。修復されたクオリティで、白黒の映像美を堪能。下女役は、イ・ウンシム。

紡績工場の音楽教師、トンソク。やたら金ある。音楽教師はそんなに儲かるのか、当時としてかなり豪華な二階建ての家に住む。ミシン仕事がたたって過労の妻のため、下女雇う。やがて、下女とトンソクのNTRの展開。家庭の崩壊が巻き起こる。ひとつの家を舞台にした、崩壊の悲喜劇。

かなりおもしろく、見応えあった。

当時としての近代的、西洋的な暮らしを謳歌する音楽教師とその家族だが、下女により、内部から崩壊していく。下女は象徴的存在で、上昇への憧れ、と転落の不安の両方を暗示する、その家の階段、そのものと一体化するかのようで、それは、近代化を志向する社会そのものの危うさか。

倫理観や、憎しみにさえも勝ってしまう肉欲の不条理というか、生き物としての人間の悲しさみたいなものも、なんともいえない客観的な感じで、突き放して描いていた感も。

カレーの皿の上にねずみという衝撃的な悪夢の描写。家庭が外部からの侵入者によって犯されていく様子がそこに。ねずみの恐怖。

第四の壁を突き破り、アドバイスをかましてくる展開には、呆気にとられつつも、不気味な恐ろしさを感じた。

キム・ギヨン作品もっと観よう。

なにかしらの視点、専門性、で映画を読み解き、独自の語り口で語る、みたいなやつが理想ではあるが、そんなのなかなかできないし。身の丈の感想を繰り出して参ります。