文化系のためのスポーツ読み物・映画とか④ ~『マネーボール』 やつらの傾向と対策 ~

例のごとくバドの話なんですが、勝てないペアがいたんですね、ダブルスで。こちらは男二人で相手は女二人のペアで、体力ではおそらく負けてないのに、一回も勝利したことがない。その相手に勝ちたいということで、そのペアと私たちが対戦した試合を録画しまして、敗因を分析してみました。

 

すると、結構新たに分かったことが多くて、そのペアと再戦したら勝てたんですね。それも結構大差で。当たり前ですが、自分の敗因を客観視して分析するって重要なんだなと思いました。

 

で、今回はそういう分析ものスポーツ映画『マネーボール』を紹介します。これは、2011年のプラット・ピット主演映画で、選手獲得に十分な予算がない弱小貧乏球団が、セイバーメトリクスという理論に基づき、選手を獲得し、強豪チームへと変身していくという話です。

 

トレードとかドラフトで選手を獲得する際、本塁打数とか打点、打率などのわかりやすい指標を頼りにして、選手を獲得するのが普通です。しかし、そのようなわかりやすく成績の良い選手は年俸も高い。そこで、貧乏球団のゼネラル・マネージャーであるブラピは、セイバーメトリクスに注目します。このセイバーメトリクスというのは、多様な統計に基づいて選手を獲得し、戦術を組み立てるという理論のことです。そのセイバーメトリクスには、本塁打数、打点等のわかりやすい指標以外に様々な指標があり、それらを利用し、チームを勝ちに導いていくのが『マネーボール』です。

 

私が、この映画を見て思ったのは、こんなのあたりまえじゃん、っていうことです。データに基づいての選手獲得や戦術というのは、昔から行われてたでしょって。また、戦術にしたって、人間はその競技を何回もこなすにつれて、自然にその傾向というものを学習していきます。

 

だけど、ノーアウト一塁の状態で、ヒッティングしても送りバントしても、そんなに得点につながる確率って変わらないって知ってました? 日本の野球では送りバントですよね、そういう場合。確かに送りバントの方が二塁へ進塁できる確率は高いらしいのですが、得点率はヒッティングの方が高い場合もある。このような送りバントという常識とされているセオリーでさえ、統計を通してみると、覆ることがあるのですね。

 

個人の持っている経験値というデータから、今後の展開を予測することは、昔からみんなやっていました。しかし、ブラピがこの映画内でやったことは、その個人の持っている経験値を統計データとして見える化して、そのデータに基づくチーム運営を徹底したということなのです。みんなが曖昧にもっていたデータを数値化して、傾向を明らかにし、そこから戦術を立てる。しかし、これを徹底することが非常にむずかしい。映画のなかでは、旧来のやり方で采配しようとする監督やスカウトマンとデータ主義のブラピとの対立が描かれてます。

 

何度も言いますが、大切なのは、みんなが直感的に感じていた傾向とか経験値みたいな曖昧なものを、はっきりとした数値やグラフで見える状態にしたということなのですよ。バドでいうと、サーブレシーブはバック側にドライブ来るよ、この状況ではロングサーブが多いよね、みたいなものを数字で示されると説得力が違ってきます。

 

自分たちのバドに例えると、大体相手選手の傾向みたいなわかっていた気がしていたんですよ。だけど、それは気がしていただけで、それ以上踏み込まなかった。いや、自分たちの現状を曖昧にしか捉えていなかったので、踏み込むにも踏み込めなかったという感じでしょうか。しかし、映像から傾向というものを数値化し現実を直視できたことにより、自分たちが取るべき対策が鮮明になったのです。

 

映画に戻ると、ブラピはセイバーメトリクスに適応しない旧来のスカウトマンや選手を、ドライに解雇していきますが、チームは結果を残せず、ブラピへの批判は高まります。それでも、自分の方針を曲げなかったブラピのチームは、記録的な連勝記録を残していくのです。

 

データというものは単に傾向を示すものであって、絶対ではありません。スポーツというものが人間の行うものである以上、偶然性や不確実性を完全に除くことができないのです。そこがスポーツの面白いところとも言えるでしょう。しかし、データ通りにやっているのに結果が出ない。その時、自分の主義を貫くのか、それとも方向転換か。こういうことは人生の他の場面でもありえることだと思います。

 

 

思うんですが、強い選手というのは、データに対して自覚的でなくても、無意識のうちに相手の傾向に基づいた予測をしているものだと思います。長嶋茂雄なんかも無意識のうちに必要なデータを取捨選択し、次のプレーを予測して動いていたのだと思います。そういうことが無意識にできる人が天才って呼ばれるんですかね。

 

私は、そんな天才的才覚には縁遠い人間なので、文化系らしい傾向と対策によるバドミントンで勝利を得るべく、今日もエクセルでの分析にいそしむのでした!

 

また勝つぞー!

文化系のためのスポーツ読み物・映画とか③ ~『ベイビーステップ』(1) ただ上手くなりたいだけなんです ~

結局のところ、バドにしか興味ないんですよ。ここ一年ぐらい映画なんて2,3本ぐらいしか見てないし、本もスポーツ関係の本しか読まないようになりました。このブログだって、スポーツ関係のものに関連づけて書けるようなテーマ設定にしたんです。

 

私は6時に起床して、家の近くにあるバドミントンができるスペースで一人で1時間ぐらい練習してから出勤するという生活を1年続けましたからね、あの無気力人間の私が。ラジオ体操1日しか続かなかった自分がですよ。これは、自分でもびっくりです、こんなに熱くなれる自分がまだいたことに。

 

まあ、ハマってるっていうんでしょうね、こういうの。ええ、自分でも思います、これはちょっと尋常じゃないなと。でも、こういう尋常ではないことをやってみたかったんです。これは、たった一人のオリンピックですよ、わたしにとっての。で、結果が出てるかっていうと、点数で言うと70点ぐらいですかね。バドミントン歴1年チョイの中年にしては、結構頑張ってる方じゃないですか。だけど、やっぱり部活経験者と対戦すると全く試合にならないですね。彼らはちょっと次元が違う別のステージにいるということを対戦するごとに実感します。

 

若くもない、突出した身体能力もない、もちろんスキルもない人間がどうやって、彼らに追いつくか。自分が彼らより秀でているところを考えましたよ。相手は部活経験者しかも若い、彼女持ちときたら、三重苦でしょ。おじさんヘレンケラー状態ですよ。そりゃウツになりますよ。それでも、考え続けました、ラジオでタマフル聴きながら。そしたら、宇多丸さんが言ってました。K・U・F・U」 工夫しろと。 

 

その時、わたし見つけたんですよ、自分が彼らより秀でているところを。それは、このご時世にラジオ聴いているというところ、オタク的なところだと。わたし負けませんもん、ハードバップとビ・バップの違い言えますもん。内向の世代と第三の新人すらすら出てきますもん。

 

皆さん、『ベイビーステップ』(作・勝木光)っていう漫画知ってますよね。これ有名な漫画みたいじゃないですか。私漫画をあまり読まないので、知らなかったのです。知ったきっかけは、好きな文筆家の荻原魚雷さんの文章です。魚雷さんというのは、高円寺在住の文筆家で、古本に関するエッセイ等で有名な方です。友人を通じて知り合い、2回ほどお話しさせていただきました。基本的に小説等の古本に関する文章が多いのですが、本のタイトルが『本と怠け者』、『閑な読書人』、『借家と古本』とかあまり前向きではないタイトルが並んでて、最高なんです。この人の本になんど助けられたことか。やる気がないことを肯定してくれるような文章なんです。やる気がない自分をどうにかしてやる気を出させるのではなく、やる気がでないままやり過ごす的な。

 

で、その魚雷さんの文章の中に、『ベイビーステップ』が出てきたんですよ。魚雷さんは、フリーランスの文筆業としてどのように生き抜いていくかについてのヒントをスポーツ関連の書物に求めたりしてます。その一つが『ベイビーステップ』なのです。

 

江戸川乱歩、『ベイビーステップ』の主人公、エジソン、アインシュタイン、この4人の共通点わかります?それはメモ魔ということです。記録をつけるのが大好きということ。15歳からテニスを始め、わかりやすい身体能力も持っていない『ベイビーステップ』の主人公エーちゃんは、几帳面な性格から練習や試合の気づきをノートに細かく記していきます。そして、そのノートの分析をもとに戦略を立て、勝ち抜いて行くというストーリーなのです。そして私も、オタク気質の人間のご多分に漏れず、記録は嫌いではないです。基本ねちっこいですから。

 

まあ、この漫画は初心者が上達していく物というジャンルに括られる漫画ということになるでしょうが、その姿勢や作中の上達理論がバドミントンをやっている自分にとても参考になるのです。主人公が自分の試合の1球1球のコースや種類を、ノートに記していることを知ったコーチが言います。

 

「テニスは球を打った時の感覚とその球がどこに落ちたかという認識、このふたつが備わった確かな1球を打ってはじめて上達する。この1球の蓄積こそが上達なんだ」(『ベイビーステップ』第2巻より)

 

やみくもに球を多く打つのではなく、1球1球のフォーム、球筋、落下点をしっかりと認識しながら練習することが重要だと説くのです。自分もバドの練習の際、たくさん打ったその疲労感だけで満足してしまって、内実は効果的でない練習をしてしまうことが多々あります。1球1球を意識して打つということは、簡単そうに見えて非常に難しい。その認識を手助けするのが、ノートなのです。まあ試合中の全配球を覚えノートに記録しているというのは、非現実的でいかにも漫画的なのですが、実際に強い選手というのは自分の配球を結構な割合で覚えているらしいです。

 

この作品では、W・T・ガルウェイの『インナーテニス』を引合いにだし、メンタル面での上達理論についても描かれてます。私はこのガルウェイの本をバスケットボールをやっていた高校時代に読んだのですが、まさかこの漫画で出てくるとは、思いませんでした。まさに文化系的スタンスでスポーツをやるべき運命は、あの高校時代から決まっていたのです。

 

「(ラケットを早く引け)などと指示する自分が優勢の状態は案外うまくいかない。意識しすぎて金縛りになってしまうからだ。逆に(ボールで線を引こう)などと何かを実行する自身が優勢になって指示する自分が消えた時、人は最高のパフォーマンスを見せるという」(『ベイビーステップ』第4巻より)

 

1球ごとに意識を配り、正しいフォームで打ち、それが血肉化され無意識にアウトプットできるようになった時にはじめて人はよいパフォーマンスを見せるのです。しかし、この意識と無意識のバランスが非常に難しい。たとえばスマッシュを打つ際に意識するポイントは、足のスタンス、体幹の回転、腕の回内、インパクト時の握りしめ、等多々あるのですが、それらを最初から一度に意識するのは難しく、一つ覚えられとしても、そこに集中することで他の要素への集中が抜け落ちるという感じです。これをある程度の形までに持っていくのは、結局反復練習するしかないのですが、そこら辺の描写も、実際にスポーツをやりこんだことのある人間ならではのリアリティがあり、共感できます。主人公は、この几帳面さと動体視力等の優れた「目」の能力を活かし、勝ち進んでいきます。

 

今のところ全47巻のうち5巻までしか読んでおりません。この時点で私がこの作品について思うことは、ヒロインのなっちゃんがかわいい、なっちゃんのあれがでかい、プレー中のなっちゃんのあれが見えそうで見えない、上達理論がまあまあ使える、田中麗奈って、なっちゃんって呼ばれてたのを思い出した、なっちゃんと付き合えるならテニスに転向してもよい、『夏子の酒』ってあったな、等々でした。

 

読んだらまた書きます。

文化系のためのスポーツ読み物・映画とか② 〜普通で満足できます?〜

だけど、スポーツやるって難しいですよね。日中は仕事があるし、残業があることも多いだろうし、それが終わったら家で寝たいし、ネットしたいし。普通の大人が、日常生活で何かスポーツやるって難しいですね。しかも、それを継続するってほとんど至難のわざでしょ。

特に僕みたいな引きこもり、よく言えば文化系、インドア派は、外に出てスポーツするなんて縁遠いことだと考えてました。だれが好き好んでキツイ思いして体動かすんだってね。

 

でも、文化系のある種の人たちは、スポーツにのめりこむ傾向があります。三島由紀夫のボディビルとか、マイルス・デイビスのボクシングとか。存命の方だと、ジャズ・トランぺッターの近藤等則さんなんか、新体道という武道をかなり本格的にやっていたと読んだことがあります。これみると、サッカーみたいなゲーム性の高いものではなく、直接体を鍛える要素の高いものであり、かつ一人で出来るものですね。これを文化系男子の肉体的コンプレックスの裏返しであるとか、ナルシシズムの現れであるとか考えることは簡単ですがね。

 

『果てなき渇望 ~ボディビルに憑かれた人々~ 』(著・増田晶文)という本があります。ボディビルについて書いたノンフィクションです。この本には、ボディビルに淫しすぎたために、日常生活に支障をきたしてしまう人々が書かれています。

 

  「基準は生理ですよ。生理があるうちは、まだ甘い。生理が止まったということは、私の身体から女性に必要な脂肪がなくなったということなの。言い換えれば、私は女でなくなることでコンテストで戦う身体を手に入れるわけ。」(「果てなき渇望」より)

 

女性ならば生理が止まるは当たり前で、大会直前に急激なダイエットのために死にかける人とか、様々な人が描かれています。マッスル北村という有名なボディビルダーは、その急激なダイエットのために、低血糖で死亡しています。他にもトレーニングが原因で片目を失明する人とか。

 

副題にもあるように、まさに憑かれた人たちが描かれているこの作品ですが、この本の「禁止薬物」という章に、Aというボディビルダーが出てきます。彼はラグビー部に在籍、かつ成績優秀で、文学や哲学書を好んだという高校時代を過ごし、大学受験で日本最難関の大学を受験します。しかし、一浪しても合格することはかなわず、滑り止めの大学へと進学します。空虚な気持ちのまま、普通の大学生活になじめなかった彼は、ボディビルへとのめりこんでいきます。そして、すぐに頭角を現し、学生のボディビル大会で入賞していきます。

 

勉強と筋力トレーニングって似てますよね。やればやっただけ成果が返ってくるものでしょ。家柄や容姿といった自分ではどうしようもないものに囲まれている僕たちが、自分の努力しだいでどうにかできる数少ないものの一つだと思います。これが同じスポーツっていっても、サッカー、野球のようなスキル要素の高い種目だと、先天的な才能とかがもっと問題になりますが、筋トレは、ある程度正しいやり方でやれば、結果は必ずついてきます。勉強も先天的要素より後天的要素が多いと思います。

 

「垂直上昇志向というか、どれだけ他人より優れた力を持っているか、重いものを挙げられるかに興味が集中しました。数字というのは便利なもので、大きな励みになるんです。偏差値を競う受験勉強と同じですね。思い返せば、小さな頃から力に対する信仰のようなものがありました。」同上

 

大学卒業後、一流企業に入社したAですが、数年で退社します。ボディビルのトレーニングと仕事を両立できなくなり、ボディビルを選択したのです。一流企業社員という安定した身分を捨て、ボディビル中心の人生を選んだ彼の前にステロイドという存在が現れます。彼はこう語ります。

 

  「自分はただひたすらに大きくなりたい。天から与えられた身体を、自分の意志の力で変えていく。筋肉を一センチ肥大させることで自分が神に近づけるわけではありませんが、少なくとも自分の肉体という小宇宙を創造することができる。たとえ後遺症が襲ってきてもかまわない。どんな手段を使っても、限りなく肥大した筋肉を手に入れたい。ただそれだけなんです。」同上

 

そして、芥川龍之介の『地獄変』の天才絵師を引合いにだし、このように語ります。

 

『「悪魔的と言われても、自分は自分のやりかたで目標を達成しようと思いました」 ~中略~ 自分は目的のためなら、あえて手段を択ばないという道を選んだ。』同上

 

目的のためなら手段を択ばない。よく言われるフレーズですが、これを実際に行うのは難しいです。ステロイド等の不正だけで勝てるわけでないし、不正が発覚した時の代償は非常に大きい。

 

 

この目的のためなら手段を択ばないということを恐らく現代スポーツ界において最も華麗に実践し、破たんしていった男ランス・アームストロングについて書いた『シークレット・レース ~ツール・ド・フランスの知られざる内幕』(著 タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル)という本があります。ツール・ド・フランスっていうのは有名な自転車競技ですよね。

 

ツール・ド・フランスというのは、フランス国内を中心として3週間ほどの期間をかけて競う自転車競技です。この長い期間で争う自転車レースでは、個々の選手が所属しているチームがそれぞれ戦略を立てます。チーム内の誰を勝たせるために、他の選手が前を走って風よけになるとかですね。この競技は、個人スポーツの側面はもちろん、チームスポーツの側面も大きいのです。

 

ランスは、20代半ばでがんに侵され、選手生命の危機に陥りましたが、奇跡的なカムバックを果たし、その後ツール・ド・フランスで7連覇しました。しかし、ドーピング使用が発覚し、その7連覇は取り消され、自転車界から永久追放されました。この本は、そのランスのチームメイトであったタイラー・ハミルトンという選手の告白をもとに書いてあります。

 

この本の中で、自転車競技界でドーピング使用というものがでは当たり前になっている現状が描かれます。ツール・ド・フランスで上位に入賞するためは、ドーピングが不可欠であるという現状です。

 

「ランスがレース中に好んで使った台詞は、『普通じゃない・not normal』だった。驚くほど速い選手がいると、ランスは決まってこの台詞を口にした。 ~中略~ エネルギーを使い果たしたはずの選手が、単独の逃げを試み、そのままビッグレースを制する ―普通じゃない―」(「シークレット・レース」より)

 

ツール・ド・フランスに出場するようなトップ選手になると、身体的、技術的な差、自転車等のハード面の差は少ないでしょう。しかし、普通の選手の感覚からはありえないようなとびぬけたパフォーマンスをみせる選手がいる。そこには、ドーピングの存在があったのです。

 

各チームは、組織的なドーピング体制を組みます。例えば、ドーピング専門の医師をチームドクターとして雇い、ヘマトクリット値を、陰性ギリギリに保つとか、常時薬物をもっていると、抜き打ち検査時に危険なので、薬物を使用する直前にバイクで届けてもらうとか。これは、個人の選手レベルでは、行えるものではありません。最初からドーピングありきでチームを組織し、大会に臨まないと行えないものばかりです。

 

この本では、薬物を規制すべき立場の自転車協会、薬物監視団体も、ドーピングが蔓延する状況を黙殺していたことも描かれています。ランスは自転車界のヒーローに仕立てられた半面、ドーピング撲滅のための見せしめとして追及され裁かれたという面が確かにあります。

 

もちろん、ドーピングをしたからって、必ず強くなれるわけではない。なにも努力しない人を、いきなり勝者にしてしまう魔法の薬でなないのです。何かにとりつかれ、常軌を逸した努力により自分を追い込んだ果てに見えてくる深淵があり、それを覗き込んだ者のみが知りえる感覚があるのかもしれません。

 

この文章を書いている最中に、カヌー日本代表選手が他の選手の水筒に禁止薬物を混入させたというニュースが飛び込んできました。彼は大きい代償を払うことになるでしょう。しかし、発覚したら大きな代償を払うことになるとわかっていても、彼は手に入れたいものがあったのです。オリンピック出場で得られる愉悦や称賛は、人間から正常な判断を奪ってしまうほどのものなのでしょうか。

 

私は、薬物に手を出してまで、何かに耽溺する人がうらやましいです。仕事も趣味も中途半端にしかできない人がほとんどのこの世の中で、そこまで逸脱してのめりこめるのは本当に難しい。私は、過ちを犯したカヌー日本代表選手や、ドーピングを行うボディビルダーたちの気持ちがわかるような気がします。

 

人間がある種の狂気を宿すのも、犯罪を犯すのも、才能や努力が必要なんだと、この歳になって実感しています。卓球の水谷準選手は、「強い人は、チャンピオンというのは『異常者』だ」と自著で語っています。確かに、過度なトレーニングや薬物によって、健康を害してまで自分を追い込むのは、異常者といってもいいでしょう。異常にならないと見えてこない世界がそこにあるのでしょう。

 

これが平凡な日常に生きざるを得ない傍観者の勝手な感想です。

文化系のためのスポーツ読み物・映画とか① 〜たった一人のオリンピック〜

みなさん、スポーツやってます? スポーツとまではいかなくても、ジョギングとか、ヨガとか。わたしは昨年の秋までは、スポーツとは無縁の生活を送ってました。いや、むかし、中高のころは、バスケやったりしてましたよ。ええ、かなりやってた方だと思います。

だけど、東京に進学してから、全くですね。よく言えば文学青年っていうんですか、悪く言えば、宮崎勤の部屋みたいなところに住む人間になりましたね、ええ。

あんまり人が 知らないような音楽とか聴いたり、難しい本読んだりして、悦に入ったりしてね。

まわりの学生とかはテニサーで適度に汗流した後、飲みに行くみたいなことで、楽しんでたようですね。私は、そういう適度っていうのが性に合わないみたいで。変にストイックなところありまして。

まあ、簡単に言えば非リアでしたね。

だけど、本や映画を通しては、スポーツに触れてましたね。あと、バスケの試合観に行ったりとかしたりして、まあ、自分ではやらないけど、スポーツはずっと好きだったんですね。

今日はそのような私が好きなスポーツ読み物を一つ紹介したいです。

「たった一人のオリンピック」っていうの聞いたことあります? 知らなくても、「江夏の21球」っていうのは聞いたことあるでしょ。絶体絶命を江夏が切り抜けるやつ。

えっ、スタローンが危機一髪で絶壁からパンツ一丁で飛ぶやつ? それ、クリフハンガーでしょ、多分。それ映画だし、読み物っいったじゃん! え?、ほんとに聞いたことない? じゃあ、書くのやめるか??

やっぱ、続けます。「江夏の21球」というのは、スポーツノンフィクションの世界では古典とされる作品で、『スローカーブを、もう一球』という角川文庫に収録されてます。著者は山際淳司さんです。そういうのが好きな人にとっては、めちゃくちゃ有名です、この本。この本はスポーツに関するいろいろなノンフィクションが収録されていて、その中の一つが「たった一人のオリンピック」っていうやつです。

平凡な大学生の青年が主役の作品です。その青年は大学生だった20歳の時、オリンピックに出場しようと決意するんですよ。大学で何の部活に所属せず、勉学にも熱心でなく、麻雀に明け暮れていた大学生が、ゼロからオリンピックに出場しようと。

ある程度の大人になってから、オリンピックに出ようと思いつき、それに向かってゼロから努力をするなんてことは、ほとんど荒唐無稽でしょ。しかし、この青年はその荒唐無稽なことを実行したんです。一般的な価値観からは、しちゃったという方が正しいかな。

怠惰な大学生が、オリンピックに出ようとする。私、やられましたね。大好きですね、こういう飛躍や過剰なところ。言い方かえると気が違っているところ。私、大好きです、ほんとに。

青年が選んだ種目は一人乗りボートです。

「ボートを始めたことは、友人の誰にも話さなかった。これでオリンピックに出るんだといえば《間違いなくバカにされる》からである。」(「たった一人のオリンピック」より)

されるとおもいます、はい。

競技人口が少ない種目を選び、ローンで数十万円するボートを買い、競技の支障となる痔の手術も行います。そして、就職もせず、アルバイトを続けながら一人で練習を積み重ねます。

「全日本で勝つまでは、黙っていようというのが彼の姿勢だった。つまり、簡単にいってしまえば、彼は孤独だった。しかし、本当の意味での孤独だったわけではない。彼は孤独に練習する自分を対象化することができた。(同上)

ぐはーっ、たまらん! おれもこんなに自分を追い込んでみたい! 無難に勉強とか仕事とかしてる場合じゃない!それがお前の本当にやりたいことなのか? 定年まで、パソコンで書類作って、周りに愛想笑い浮かべて、ローンでウサギ小屋買うの?そんなことで、お前の人生すり減らして、あっという間にさよならだよ!

ごめんなさい、最近躁鬱が激しくて。

「たった一人のオリンピック」は、この文章から始まります。

「使い古しの、すっかり薄く丸くなってしまった石鹸を見て、ちょっと待ってくれという気分になってみたりすることが、多分、だれにでもあるはずだ。 ~中略~

これじゃまるで自分のようではないか、と。日常的に、あまりに日常的に日々を生きすぎてしまうなかで、ぼくらはおどろくほど丸くなり、うすっぺらくなっている。」(同上)

大学ボート部を中心とした古い考えに支配されている日本ボート界をよそ目に、彼は、ボートを我流で改造し、海外から漕艇技術を取り入れ一人で練習を続けます。こういうところも私すきですね、我流とか独学とか、オタク的なところ。基本わたし人の意見とか聞いてないし。

彼は数年で全日本のタイトル取り、モスクワオリンピックの代表に選ばれます。そのあとのことは作品を読んでください。

「使い古しの石鹸のようになって、そのことのおぞましいまでの恐ろしさにふと気づき、地球の自転を止めるようにして自らの人生を逆回転させてみようと思うのはナンセンスなのだろうか。周囲の人たちは昨日までと同じように歩いていく。それに逆らうように立ち止まってみる。それだけで、人は一匹狼だろう。」(同上)

 わたし最近、会社帰り丸ノ内線のある駅で途中下車するようになりました。わたしなりに立ち止まってるんですかね。もちろん、仕事辞めるなんて、勇気ありませんが、何か?

だけど、最近、楽しいです、ほんとうに。立ち止まって何してるかって? それはまた別のお話し。