2021年 私的ベスト映画

2020年から引き続いてコロナ禍だった2021年。
ほとんど緊急事態宣言だった気もする。

そんな中、感染症対策をしっかりしつつ、映画館は開いていた。シェルターのように、そこにあり続けていた。

今年も変わらず映画館へ通った。

劇場で観た映画の中から選んだ、いまの時点での10本を以下に。

■10位 子どもはわかってあげない

南極料理人や横道世之助の、沖田修一監督作品。主演は、上白石萌歌、細田佳央太、豊川悦司、斉藤由貴、千葉雄大ら。田島列島の同名コミックを映画化した作品。

高校の水泳部のエースで、左官のアニメの好きな、上白石萌歌演じる、朔田 美波(さくた みなみ)。部活終わり、プールからみた学校の屋上に、なにか見つける。階段駆け上がり見に行くと、自分の好きな左官のアニメのキャラを筆で描いてる青年が。何君?と尋ねると、モジくん、あ、いや、門司(もじ)、と答える。彼との出会いから、ふとしたきっかけで、美波の実の父親探し、が始まっていく。

空の青と白いシャツ、健康的な日焼けとショートヘアーの上白石萌歌の、10代最後の夏を撮り納めた映画として、独特の移動長回しショットもあいまって、80年代青春映画の感もあり、素晴らしい。

水泳部の顧問が語尾に「な」をつける、美波の「アデュー」、美波の母の「OK牧場」、など、印象的な言葉が散りばめられた、会話も魅力。まじめな場面になると笑ってしまう美波の、どこか俯瞰で物事を見ているようなクールさと、独自の世界観、自分をしっかり持ってるがゆえのぶれない明るさが、映画全体の空気感を爽やかで超現実的でもあるいいバランスに保っている。

画面の中で、青と白の割合が多い。出ている人が、みんな健康的に日焼けしている。プールが出てくる。海も出てくる。そういう画面をただ眺めていたい気持ちにさせられる。

食事を通して、心的な距離を近づけていく描写もいい。ゆるい時間を過ごしているようでいて、ひと夏終えての成長がある、という夏休み映画でもある。

ブーメランパンツを履いて「僕にも教えてくれよ」の豊川悦司はアウトめなギリギリ感大賞2021ノミネート。

■ 9位 BLUE

ヒメノア〜ル、愛しのアイリーンなどの、吉田 恵輔監督による、ボクシング映画。松山ケンイチ、木村文乃、柄本時生、東出昌大らが出演。

ボクシングへの熱量は誰にも負けないが、試合で勝てない瓜田。その後輩であり、瓜田の幼馴染とも結婚を控え、日本タイトルも目前のボクシングの才能に恵まれた小川。パチンコ屋でバイトして中学生にボコボコにされ、やってる感を出す浅い目的でジムにやってきた楢崎。それぞれのやり方でボクシングと向き合う3人のボクサーの生き様を描く。

ビハインドからの勝利だとか、ヒロイックな展開だとか、ドラマチックなロマンスだとか、わかりやすいカタルシスがないのに、なんでこんなにも忘れ難く、涙が出てしまうのか。とにかく、負けまくっても闘い続ける瓜田の姿が、その背中が、自分が負けて悔しくても人のために手を差し伸べるその姿が、心を打つ。 

熱量と才能は別、というリアルもあれば、熱量があること、それこそが才能でもある、という考えもある。好きこそものの上手なれ。好きなことを見つけよう。しかし、才能のないところでの熱量というのは呪いでもある。好きで得意だったらそれを突き詰めればいいじゃない、も、好きは別にして得意なことや金になることすればいいじゃない、も、どちらも正しいのだろうが、瓜田を筆頭に今作の3人のボクサーは、そのような正しさの尺度ではないところで生きている。そういう生き様へと向かわせるのがボクシングの魅力であり、恐ろしさでもあると感じる。でも、3人とも、苦しそうでもあるし辛そうでもあるが、すごく、生きている、感じがする。  

自分の身体の悲鳴や、周囲の冷静な視点を超えての、好きゆえの呪いというところでは、ダーレンアロノフスキー監督、ミッキーローク主演の映画レスラー(2008)のそれを思い出したりもした。

ボクシングジムの会長、ボクシングジムのスタッフ。実在感あった。ボクシングの殺陣は監督自ら行ったという。過度にドラマチックに演出されていないボクシングのリアル描写という温度感。

ボクサー版のトキワ荘の青春、を目指したとか。青春物語に苦みやつらみはつきもの。当事者が切実になにかに向き合っているほどに。

パチンコ屋の中学生とか、パチンコ屋のスタッフルームだとか。地方都市のなんともいえない哀しみおかしみを描く手腕の確かさも健在。 

■ 8位  21ブリッジ

マーベルの一連の作品で知られるルッソ兄弟製作。監督はブライアンカーク。ブラックパンサーのチャドウィックボーズマンが主演。シエナミラー、JKシモンズ、ステファンジェームズら出演。 

マンハッタンの真夜中、確かな筋からの情報を基にレストランの地下から麻薬を盗み出す2人組。想定していたより大量のブツに驚きつつも、強奪。しかし、ちょうど警官がそこへ入ってくる。なぜこんな時間に警官が?あれよあれよと撃ち合いになり、2人組は逃走、警官たち多く犠牲になる。やがて、事件の現場に現れたのは、正義の代価だ、と犯人追跡中の射殺もいとわないハードなニューヨーク市警刑事、アンドレ。大胆にも、マンハッタンへとかかる21の橋を封鎖。朝のラッシュまでな。タイムリミットは夜明け。絶対捕まえるぞ、と犯人追跡をはじめるが、なにか、うまく進みすぎて腑に落ちないところがあると感じるアンドレ…。 

こういう類の映画が大好きだ。まさにこういう映画が観たくて映画を観ているというところもある。マンハッタンを舞台に繰り広げられるリアルアクション。夜のマンハッタン、犯罪、警察、地下鉄やビルや厨房の裏口や資金洗浄の現場で響き渡る銃声。いわゆる、テレビ東京の午後のロードショー系の安定感。しかし今作は、都市型リアルアクションのジャンル映画的面白さを追求しつつ、サスペンスでもあり、チャドウィックボーズマンが正義とはなんぞやと葛藤しながら闘う姿を見せつけてもおり、観終わった後余韻に浸って都市部における正義について考えを巡らせてしまうような奥深さもある。 

雨に濡れた道路を黒光りする車が走り、マンハッタンのビルの明かりが夜の闇を彩り、そういった画面を眺めているだけで、ああ、映画を観てるなぁ、という気分になれる。都市型リアルアクション映画をもっと観たいし、このような映画でのチャドウィックボーズマンの今後のさらなる活躍をみたかった。ブラックパンサーもいい映画だが、ことあるごとに見返すことになるのは、21ブリッジだ。  

■ 7位 最後の決闘裁判/ The Last Duel

監督はリドリースコット、脚本はニコール・ホロフセナー、マット・デイモン、ベン・アフレック。ジョディカマー、アダムドライバー、マットデイモンらが出演。実話を元に、14世紀フランスのスキャンダル を描くミステリー。

騎士の妻であるマルグリットが受けた暴行。その真相を巡り、黒澤明の羅生門的な叙述で、三者それぞれの立場から、状況と顛末が提示される。

ぼてっとした不器用マッチョなマッドデイモン。インテリぶった感じ悪いうえにホモソな環境でいい思いして感じ悪いアダムドライバー。そして、なんといっても、ジョディカマー。中世を舞台にしつつ、現代にも通じる問題、男性の愚かさを鮮烈に描く。

話のテーマや語り口とは別に、中世の衣装や美術、撮影のセット、素晴らしかった。丁寧にお金のかけられた歴史スペクタクルな映画の画面のルック。おおげさなCGで、いったいなにを見せられているのだろう?と虚無になる感情とは真逆の、やっぱり映画はいいなぁ、というエモーション高まる。

ベンアフレックどこに出てた?と思ったら、あのキャラクターか、と後で気づくくらい、なんか見た目変わってる。

2時間半くらいある映画。ディズニープラスで配信あるが、やはり映画館で没入したい。そして、パンフを読みたい。今作で劇場パンフがなかったこと、その配給の姿勢に関しては、覚えておきたい。

■ 6 位 プロミシングヤングウーマン

エメラルド・フェネルが監督脚本。長編デビュー作。大胆不敵な物語に共鳴したマーゴット・ロビーも製作に名乗りを上げたとか。 
キャリーマリガンが主演。ボーバーナム、アリソン・ブリーら出演。

「甘いキャンディに包まれた猛毒が全身を駆け抜ける、復讐エンターテインメント」ということだ。
物語については、多くは知らずして観るのがいいのだろう。

今年のベストオブ復讐ドラマであり、今作以前と以降で、決定的に色々と変えてしまっている。

エイスグレードのボーバーナムも、本人のリベラルでアップデートされているイメージを逆手に取ったキャラクターとして鮮烈に印象に残りつつ、なんといっても、キャリーマリガン演じるキャシーが凄まじい。 

自分は悪い人ではない、比較的良心的である、と思っている人ほど観ると打ちのめされる。

■ 5 位 THE SUICIDE SQUAD

トロメオ&ジュリエットでの脚本も担当して、ガーディアンズオブギャラクシーで世に知れ渡ったジェームズガン監督による、新スースク。イドリスエルバ、マーゴットロビーら主演。

極悪な受刑者たちが、減刑を餌に政府の秘密任務へと駆り出される。命令に背いたり、任務に失敗すれば即死。スーサイドスクワッド、と呼ばれる彼らを、決死の任務が待ち受ける…。

最高最高。人を食ったような残酷描写ばかりかと思いきや、トロマ映画みのある、底辺で小さき者が最後に勝つ、みたいな展開もあり涙。

フランチャイズのアメコミ映画で作家性が遺憾なく発揮されるということが必ずしも良いことばかりではないのだろうけど、今回のザスーサイドスクワッドに関しては、キャスティング、演出、やりたいこと、諸々、うまく噛み合って、突然変異な爆発力。お金をかけたトロマ映画、とも言われるのもわかる、異常なエネルギーを感じる作品。

これは戦争映画だというジェームズガン。なるほど。上の命令で決死の任務にあたる。人死にが出る。理不尽な状況。ファンタスティックなゴア描写や悪趣味とポップでカラフルのギリギリの塩梅のルックでありながら、たしかにこれは、DCフランチャイズのヒーロー映画である前に、戦争映画なのかもしれない。

中盤以降から活躍するハーレイクインも、これまでのマーゴットロビーのハーレイクインで一番輝いていた印象。シルベスタースタローンが声のサメ人間ナナウエがオフビートな笑いと常に誰が喰われる不穏さを加えていて最高。

■ 4 位マリグナント 狂暴な悪夢 (2021)

ソウや死霊館のジェームズワン監督の作品。 

過去に恨み持ってるモンスターモノでありつつ、ジャンル映画的でありながら、ファンタスティックかつ痛快な落とし所をたたきつける。
 
音楽もかっこいい。脇を固めるキャラクターたちもいい感じ。そして、ガブリエルというダークヒーロー爆誕。

ホラーとしての怖さもあるし、ダークヒーローものとしての楽しさもある。

こういう映画を観ていきたい。

■ 3 位 RUN

アニーシュ・チャガンティ監督、セブ・オハニアンとアニーシュ・チャガンティ脚本、サラポールソン、キーラアレンら出演。

ワシントン州パスコの郊外の一軒家で仲良く暮らす親子。クロエとダイアン。クロエは持病で車いす。しかし親子で仲良くホームスクーリングして、大学へ向けて勉強。かと思いきや、不穏な様子。クロエが持病のために飲んでいたクスリ、緑のその錠剤の、ボトルのラベルが上から貼りなおされていた。下にあった薬の名は、トリゴキシン。いったいどういうことなのか。これまで与えられていた自由を疑い始めた時、戦慄のサイコスリラーが幕を開ける..

冒頭から、病院の場面、病院のスタッフの作業着、クロエとダイアンの暮らす一軒家に、共通して使われている、濃いめのミントグリーン緑色。その毒にも薬にも思える色は、トリゴキシンの錠剤の色。映画全体のトータルデザインにも、マクガフィンとしても、スリルとサスペンスを牽引するアイテムとしても、緑の錠剤トリゴキシンがとても優秀。

母の愛情、母と子の絆、それは美談として語られがちである。家族の絆。家族で支え合う。あなたには私が必要。あなたのためにやっている。
そういったところを逆手にとって、こんなにも怖くて手に汗握るホラースリラーを作り上げるとは。愛と暴力は紙一重。

90分という上映時間にも驚かされる。テンポがいい。信号渡れるかどうかサスペンス、気づかれるかどうかサスペンス。細かいサスペンス演出がうまい。

■ 2位 マトリックス レザレクションズ

マトリックス、18年ぶりのリブート。

別の世界線みたいなところで生きているのか?なにこれ?と思わせる序盤からの、ええ?どういうこと?な中盤からの、やっちまえ!な終盤。1、2、3見返してから観たけど、もともと2と3はぼんやりしてるし、関係なくアガる映画。

観た後、昔仲良くていまじゃ疎遠になっている友人に連絡をとりたくなる映画でもあった。

なにがリアルで、なにが虚構か。ぬくぬくと羊のごとくリアルのように見せかけた虚構を生きるのか。いや、違う。目を覚ませ。

キャリーアンモスのかっこよさ、デジャヴーな猫。

中年のロマンスでありつつ、後味さわやか。

いろんな種類のサングラスがかっこいい、いろんなデザインがかっこいい。

今作を映画館で観て、いろいろあった2021年も〆った気がした。

Wake up!

■ 1位 カラミティ

高畑勲監督も推したロングウェイノースの主要スタッフが再集結。レミシャイユ監督作品。アヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞であるクリスタル賞を受賞。フランスのアニメ。共同制作、デンマーク。伝説の女性ガンマン、カラミティジェーンの少女時代の物語。

なんだか居心地の悪そうなマーサジェーンのしかめっ面から幕開け。マーサは家族と共に幌馬車で西へ西へと旅団の中。家族支える父親が暴れ馬にやられて休まざるを得なくなり、マーサが父親がわりに家族を守る役割をすることに。馬の手綱を握ることも、女だから、という理由でさせてもらえない。スカートや長い髪が、ケンカしてれば邪魔になる。少年のような装いでタフに振る舞うマーサを、周囲は咎める。そんな中、窮地を救ってくれた軍人、サムソン、を旅団に招き入れたことから、マーラはトラブルに見舞われることになる…。

権威の愚かしさを暴き、疫病神がやがて英雄に。カラミティ・ジェーンというヒーローの誕生譚は痛快でいて寓意に満ちている。かつてのスタジオジブリのマインドに通じる、少女の成長物語。

主線のない独特の作画、幻想的な美しい色使いの風景も素晴らしかった。

カラミティ観たタイミングでロングウェイノースも観たが、家や自分の与えられた役割に縛り付けられる必要はない、やりたいこと、信念のおもむくままに生きよ。その道で自立することを通じて家に報いよ。というメッセージが両作品に共通してあるように感じた。19世記が舞台で、若草物語とか、アップルTVプラスのドラマ、ディキンスンにも通じる、現在と比べても抑圧的な価値観が支配的だった時代を舞台にして現代的な意識を持った人を主人公として描くことで、過去にも現在にも通じる普遍的な問題を浮き彫りにして、その先へと向かう先進性を示すドラマ。

お子様へ、大きくなったら、ジブリもいいけど、カラミティ。

異性装による状況の打開の描写も印象的だった。
なぜマダムだけが、マーサが少年のふりをしていることを見抜くことができたのか?ということも。

その手綱から手を離せ、らしく振るまえ、という抑圧にさよならを。心にカラミティジェーンを。

以下、特別枠。

・007 ノータイムトウーダイ
ダニエルクレイグ、お疲れ様!ありがとう!

・アメリカンユートピア
観念的で哲学的な言葉と、フィジカルに訴えかけるグルーヴと、斬新でいて自由でいて統制の取れているステージングがあいまって、映画でありつつ、新次元の楽しいライブ体験。

・JUNKHEAD
とてつもない熱量と作業量と才能の結実した世界射程のインディペンデント映画。すげぇ!ってなった。

・べいびーわるきゅーれ
そのあまりの文句なしなおもしろさゆえ、スターダムかけあがった日本映画代表。

来年も映画を観て生きていきたい。

ふんどしを茹でる日々の映画鑑賞〜氷の微笑/バニシングポイント

備忘録のため、己を奮い立たすため、観た映画についての感想を定期的に書き残していきたいと思う。

一週間に2本を目標にしていたが、全然達成できず。定期的に2本分、書き残していきたい。

◼️氷の微笑 (1992)

真夜中にNetflixで観た。ポールヴアーホーベン監督、マイケルダグラス、シャロンストーン出演。音楽はジェリーゴールドスミス。撮影監督はスピード(1994)の監督でもある、ヤン・デ・ボン。カロルコピクチャーズの作品。

サンフランシスコ市警のニックが、アイスピックを使った凄惨な殺人事件の容疑者、キャサリン・トラメルの捜査を進めていくうちに、その妖艶さ、魅力、抗い難いものに、惹かれていく。謎の解明への欲求もまた、高まりつつ。

真夜中にうってつけな、大人なサスペンス。堪能した。

酒をやめて、タバコもやめていた、マイケルダグラス演じるニック。シャロンストーン演じるキャサリンと接する中で、それらを解禁していく。だんだんと深みにはまっていく様子、誰が犯人なのかわからなくなっていく様子が、ヒッチコックなサスペンス演出を利かせながら、描かれていく。画面の中の青い色の使い方も印象的だった。街並み、海、雨。

車の運転シーン、マイケルダグラスはスタント使ってないとか。プロ並みの腕前。また、セックスシーンでのシャロンストーンのボディダブルも、使われていない。性的描写に関しては、すべてにおいて、演じたシャロンストーンの本当の合意があったわけではないだろう。トータルリコールからの、シャロンストーンの抜擢。シャロンストーンを一躍有名にした作品でもあり、複雑な気持ちにさせられる。

◼️バニシング・ポイント (1971)

2017年に出たブルーレイで観た。リチャードCサラフィアン監督、バリーニューマン主演。撮影はジョンAアロンゾ。

コロラド州デンバーから、アメリカの大地を白いダッジチャレンジャーが駆け抜けるロードムービーであり、バリーニューマン演じるコワルスキーの、反骨の魂を燃やし尽くす旅。

とても面白かった。

疾走感のあるロードムービーとしてのジョンAアロンゾの撮影がすばらしい。アメリカ映画の王道とは、茫漠たる大陸のハイウェイでの景色を捉えた、ロードームービーである、と言いたくなる。ダッジチャレンジャーは細かな整備が必要な繊細な車であり、コワルスキーの荒くれドライビング撮影の中で、計8台のダッジチャレンジャーをダメにしたとか。

ただ車をかっ飛ばしているだけのようでいて、ベトナム戦争へ行き、警察になり、モーターレースの選手になり、陸送勤めに至るまでの、回想エピソードで示される、コワルスキーの人生におけるトラウマ、権力への懐疑、自由への渇望の所以に、観る者は気づけば、自由の担い手のヒーローとして、コワルスキーに、それぞれの抑圧や忸怩たる思いを託している。

陸送(カーデリバリー)の爆走。今で言うところの、高速道路のウーバーイーツ配達員が元競輪選手で、警察に対して思うところがあって、夜通し爆走して遠くまで荷物を届けるといったところか。

60年代末の雰囲気とは違う、70年代の、熱狂の後のシラケ感、その疎外感をあらわし、コワルスキーに託した映画でもあるか、と。

家で映画を観るのもいいけれど、映画館で映画を観たい。

社会の周縁からお上に対して、痛快な一撃を食らわせるアウトローの青春映画

銀行も証券会社も、経済社会にとって重要な機能を果たしていて、一概に言えないことは重々わかった上で、思うのは、銀行員とか証券屋とか、利ざやでのさばって偉そうにしている奴らなんなの、っていう気持ち。

社会の周縁からお上に対して、痛快な一撃を食らわせるアウトローの活躍を観て、気持ちを鎮めたい夜もある。

そんな夜に観たい映画。

ニュートンボーイズ/The Newton Boys (1998) 
監督: リチャードリンクレーター
脚本: リンクレーター、クラウドスタウシュ、クラークリーウォーカー
出演: マシューマコノヒー、イーサン・ホーク、スキートウールリッチ、ビンセントドノホリオ

若き日のマシューマコノヒーを筆頭にハンサムを発揮。20世紀の初頭の頃の、ウソのようなホントの話。ニトロを金庫に塗り、爆破!現金強奪! 80も銀行強盗して、列車強盗して、ちょっとした刑期で釈放、その後の人生を豊かに過ごしたという、ニュートンボーイズたち。

「他人の金をとるんじゃない、銀行の金だ。銀行、保険会社は他人から金を騙し取っている。銀行は泥棒。貧乏人のことなど気にかけない。だから俺らもやつらのことは気にかけない。泥棒から奪っただけだ。」と、自分らを正当化。 そりゃあんまりにもな理屈だが、だれも殺さずた、ただ職業として、ただお金が好きで、金庫の爆破を繰り返すニュートンボーイズに、気づけば感情移入している。

いい気なもんで、銀行強盗を繰り返すニュートンボーイズだが、そうそううまくいってばかりでもない。とある想定外の展開で、窮地に追いやられる。

青春群像劇、会話劇の名手、リチャードリンクレイターが描く、アウトローなんだけれども、アイドル的な存在にもなっていた青年たちの青春。組織犯罪プレイがスリリングかつエンタメ感ある良質なケイパーもの映画としても楽しめる。

全体的に、重すぎず軽すぎず、ちょうどいい塩梅なのも、とてもいい。

本人映像が流れるエンドクレジットも必見。

大手配信サービスでは現在特に取り扱われていないようだ。

レンタルビデオ店にはまずあるだろう。レンタル落ちのワゴンセールでも見かけるかもしれない。

自宅待機、外出自粛。利ざやで儲ける、人を騙して儲ける者共がはびこりがちな季節。

ニュートンボーイズを観て、いっちょ繰り出そう、銀行へ。

日本でまもなく公開する映画の海外サイトのレビューを勝手に訳出:さらば愛しきアウトロー(原題The Old Man and the Gun)日本公開:2019/7/12

原文:https://www.rogerebert.com/reviews/the-old-man-and-the-gun-2018
Brian TallericoSeptember 28, 2018

今作を手がけた、デイビッドロウリーは A GHOST STORYの監督。

◆ 見かけ通りではない映画

ディビッド・ロウリー監督による「さらば愛しきアウトロー(原題: The Old Man & the Gun)」はその中で描かれる主人公と同じくらい、見かけどおりではない。今作は、アメリカの犯罪の歴史の中でも最も悪名高いとされる銀行強盗の遂行において、銀行の窓口とマネージャーが実質的にそのままお金を手渡してしまうほどの、あるとても魅力的で紳士的な男についてのストーリーを紐解いていく。

◆ レジェンドのファイナルフィルムとして完璧。

しかし、映画それ自体がどれほど牧歌的であれ、今作はその興味とアウトプットの幅で我々を驚かせ続けている、とある映画監督の新たな達成であり、そして、かつて、ひとりの俳優としてのステータスを超越し、アイコン的存在として君臨していた、映画界のレジェンドへのラブレターであり、パーフェクトなファイナル・フィルムなのだ。もちろん、そのレジェンドとは、ロバート・レッドフォードだ。彼は、「さらば愛しきアウトロー」を彼の最後の映画だと発言している。レッドフォードはここ数年で彼が見せたこのないような笑顔で目を輝かせ、彼が演じてきたいくつかの愛すべきキャラクターたちの自然な延長であるかのように今作の役に臨んでいる。彼が劇中で、馬には乗ったことがない、と言う時、そのセリフはジョークとして機能する。なぜなら、私達はみんな、乗馬しているサンダンス・キッドを思い浮かべることができるからだ。

◆ 18回も投獄と脱獄を繰り返してきた主人公

ここでロバートレッド・フォードが演じるフォレスト・タッカーは、生涯を通じての犯罪者で、人生で18度も投獄されている。15歳の時の最初の投獄以来、彼は、彼を閉じ込めようとするほとんどの監獄から脱獄している(脱獄のモンタージュは最高に喜びにあふれ、いくつかのレッドフォード映画のフィルム・フッテージも使用されている)。彼は犯罪者としてのキャリアの終盤で、いわゆる紳士的な銀行強盗とでもいえるようなところに落ち着いている。オーバー・ザ・ヒル・ギャングとして名を上げている2人組(ダニー・グローバーとトム・ウェイツ)と一緒に、ジャケットをカジュアルに広げ、銃を見せて、被害者に優しい言葉を投げかけて、フォレストは銀行を襲う。

◆ その笑顔が武器

フォレストは泣きだしてしまった銀行窓口の女の子に、君はよく働いているよ、と声をかけ、元気づける。彼は必然的に、銃器とおなじくらい彼自身の人をひきつける魅力を武器としている。ローリーは、フォレストがジャケットを広げる時も、画面に銃を映すのではなく、顔と肩のショットにとどめている。その笑顔と青い目が、一番の武器なのだ。
オーバー・ザ・ヒル・ギャングの最後の日々は、2人のサポートキャラクターによって形成される。まず、シシ―・スペイセク演じるジュエル。フォレストは彼女が車の故障で車を道路脇に停めているところで出会う。警察がフォレストを追跡している最中で、彼は機転を利かして彼女のトランクを覗きこむ。フォレストは、彼女に、彼が生業にしている犯罪のことについて話すほどに、ジュエルを気に入る。しかし、ジュエルはフォレストの話を信じない。

◆ 映画的マジックが宿る場面

フォレストとジュエルが、ダイナーやジュエルの家の大きな敷地に一緒に座っている場面では、映画的マジックが宿っている。ローリー監督にはわかっているのだ、レッドフォードとスペイセクが作り出す空気には、ほかの俳優では作り出せないなにかがあるということを。その瞬間には魔法が宿り、なにかタイムレスで、コントロールを超えたものがある。二人がただ笑って話しているのを何時間でも観ていられる。彼らはとても説明が難しいなにかを、こともなげに作り出しているのだ。

◆ ケーシーアフレックがパチーノなら、レッドフォードはデニーロ

そして、ケーシー・アフレック演じる、ジョン・ハント。フォレストを捕まえようとする警官だ。彼は犯罪が起きていることを最初に理解する。ハントは、「ヒート」に例えると、レッドフォードがデニーロであるのに対してのパチーノのキャラクターだ。フォレストのずうずうしさにハントは感心すらし、彼自身40代にさしかかるタイミングで、ただ生計をたてるためではなく、本当の意味で、生きようとしている人物に魅了される。フォレストはお金のために犯罪をするのではない。彼は、胸がざわつき、それが得意だから、それをするのだ。

◆ もう誰もこんな風にはつくらない

ローリーとカメラマンのジョー・アンダーソン、コンポーザーのダニエル・ハートのチームは、「さらば愛しきアウトロー」に、とても歴史映画的な印象を与えている。今作は、おもに1981年に実際に起きた事をベースにしつつ、違う時代に作られた映画であるかのような印象を与える。フィルム・ストック、音楽のチョイス、映画的言語、すべてが2018年に慣れ親しんでいるものとは違い、全体における、マジカルでタイムレスな印象を高めている。陳腐に聞こえるかもしれないが、今作は「もう誰もこんな風には作らない」というフレーズがあてはまる映画のうちののひとつなのだ。

◆ 忘れがたい映画。レッドフォード自身のように。

結局のところ、これは、その人生のストーリーをポーチでビールを両手に語られることを望む、レジェンド自身の心についてのストーリーであり、作り手はその美学を尊重している。そして、ローリー監督はチャーミングなアウトローを描き、今作を観る人によってはただ飛んでいきそうなほど軽妙に感じられる作品に仕上げている。最初は、たぶんそう思う。しかし、誤解しないでほしい。この映画を思い返した時に思い浮かぶのは、ちょっとした会話のやりとりの中の言葉であり、レッドフォードのチャームであり、スペイセクの笑顔であり、もしくはアフレックの態度であると。それはあなたの記憶に何度も去来する類の映画のひとつであり、フォレスト自身のように、去ることを拒絶する。そして、レッドフォード自身のように、忘れ難いものだ。

◆ 日本での扱い

2019/7/12より公開。

関東では

トーホーシネマ シャンテ
立川シネマシティ
MOVIXさいたま
千葉劇場

あたりで上映。
https://longride.jp/saraba/

場所が都内ってだけで値上げでアレなトーホーシネマより、映画ファンへの愛あるサービスを展開する立川シネマシティあたりで観たいものだ。

日本版サイトでは、7/21まで、あなたの忘れられないレッドフォード映画、の投票を募っている、
https://longride.jp/saraba/vote/index_sp.php
応募するだけで、いろいろもらえるチャンス。

ラクをしたいわけではない、人生を楽しみたい、というセリフがグッとくる。

今年の夏は、ロバートレッドフォードの笑顔に乾杯し、真夏のビールをキメこみたい。

 

日本でこれから公開の映画の海外レビュー 勝手に訳してみた: ポール・ダノ初監督作、ジェイク・ギレンホール、キャリー・マリガン主演 の映画、「ワイルドライフ」2019年 7月5日 公開

原文
https://www.google.co.jp/amp/s/amp.theguardian.com/film/2018/may/09/wildlife-review-paul-dano-carey-mulligan-jake-gyllenhaal

ポールダノ映画初監督として豊潤に描く小さな町の深い悲しみ

リチャード・フォードの小説を原作とし、1950年代のモンタナを舞台にしてキャリー・マリガンとジェイク・ギレンホール演じる夫婦の結婚生活の崩壊を描く、ポールダノの印象的な監督デビュー作。

文: Peter Bradshaw

◆ポールダノにとって監督としての鮮烈なデビュー作

この丁寧に作られ、入念に演じられているピリオド・ピクチャーは、ポールダノにとって監督としての鮮烈なデビュー作だ。プロダクションデザイナーのアキン・マッケンジー、質素でいて美しい第二次世界大戦後のアメリカンライフを映し出した撮影のディエゴ・ガルシアらの偉業も大きい。

脚本家であり俳優でもあるダノのパートナー、ゾーイ・カザンとともに、ダノは、1950年代にモンタナに両親とともに移住してきた10代の少年ジョーを主人公とするリチャード・フォードの小説を脚本化した。ジョーの家族は、中流階級の生活を背伸びして貧困ラインギリギリで送り、ペイチェックからペイチェックへ綱渡りし、やがて、ペイチェックが足りなくなる。

ジョーは落ち着きを失い怒りやすくなる。失業した父親は新たに山火事に対処する低所得の仕事に就く。それは結婚生活の終わりのシグナルであり、ジョーは母親であるジャネットの失望と、新たな人生への選択に踏み切る勇気を、近いところで目にすることになる。

ジャネットはジョーを大人のように、あるいは夫や親友のかわりのように扱い、ジョーは、後にライターのベティー・フリーダンが提唱するフェミニン ミスティーク(新しい女性の創造)を痛切なまでに認めていくことになる。

◆キャリーマリガン演じる母親は、官能的で反抗的な、若い女性へと、立ち返っていく

ジョー、そして我々観客は、ジャネットの中での段階的変化を目撃する。快活で尊敬されうる妻であり母親という、ジョーが家で見慣れているその様子から、官能的で反抗的な、ジョーの父親がかつて恋に落ちた若い女性へと、立ち返っていく。

しかし、彼女が、ユーモアがあって裕福な車のセールスマンや、妻に見放された退役軍人らを受け入れ、見定めはじめる時、すべては静かな絶望、カリカチュアの様相を呈していく。

◆ジェイク・ギレンホールは父親のジェリー・ブリンソンを演じ、永久的につかれやせ衰え、アメリカン・ドリーム、あるいはデール・カーネギーな成功の達成、社会的出世に失敗してしまったことに深く絶望している

ジェイク・ギレンホールは父親のジェリー・ブリンソンを演じ、永久的につかれやせ衰え、アメリカン・ドリーム、あるいはデール・カーネギーな成功の達成、社会的出世に失敗してしまったことに深く絶望している。彼は地方のゴルフコースのアシスタントとして働くも、期待されている相手との距離感を悲しいほどに間違えており、客が靴を履いている最中にその靴を磨き、場に調和しない快活なあいさつと恥ずかしいほどのこびへつらいを見せる。

エド・オクセンボウルド演じるジョーは無言でのリアクションのショットを多く要求される役柄だ。ジョーの無邪気な表情は、彼が、父親の羞恥と絶望、そして母親のジャネットの失望を推し量る時、悲しく抑圧され、歪んだまま固定される。

キャリー・マリガンはジョーの母親のジャネットを心からの喜びを込めて演じている。それは彼女のキャリアの中でベストな役、ベストなパフォーマンスのひとつだ。成熟、ウィット、物事に精通している様子、そして人生における感情的な戦いの傷を表現し、キャリー・マリガンがいつも自身を限定させていた少女的なイメージから、見事に脱却させている。

ジャネットはファイターであり、いつも明るく、決して諦めない、しかし、夫がその役割を果たす限り。ジャネットは颯爽と銀行不渡りとなったチェックの問題から遠ざかり、YMCAのスイミングインストラクターの仕事につき、ボーイフレンド候補として、非常に太ったビル・キャンプが演じる、ウォーレン・ミラーと知り合う。

ジェリーが映画から退場すると、ウォーレンはジャネットとジョーを家でのディナーに招待する。ジョーは大人同士が話している間に、ウォーレンのベッドルームに忍び込む。そこでジョーはウォーレンの脚の添え木がクローゼットにかけられているのを眺める。サイドテーブルの引き出しに見つけた避妊薬と同じくらい、それはジョーにとっておぞましく映る。

ウォーレンとジャネットの関係は規定のコースをたどる。学校に行きながら自分で食事も用意しなければいけないジョーは、この新たに分裂した家族での自分の役割はどんなものになるだろうかと思案する。

◆ポールダノは傷ついた人生のドラマで、私たちの心を満たしてくれる。

これはかなり見応えのある映画で、アメリカにある小さな町の飾らない生活模様を美しく、豊潤に描いている。感傷的で、自意識が過ぎる部分もあるが。

ジョーのキャラクターはそれ自体、問題があるように思える。ジョーが伝えるものは、言葉にならない絶望や、起きていることのすべてへの受容であり、それ以上でも以下でもない。

彼の顔はサイレントでクローズアップで撮影される。しかし映画は彼の感情へのアクセスを与えてくれない、ジェリーやジャネットにはあるそれのように。

とはいえ、ジョーは、ポートレイトの写真家のアシスタントとしてパートタイムで働き、ポールダノ監督は、そこに客として来る家族の胸を打つようなポートレイトを切り取ったスチールイメージを逐一提示してくれる。それは、マイク・リー監督の「秘密と嘘」や、ポールトーマスアンダーソン監督の「ザ・マスター」で用いられていたものと同様の、ブルジョワジーへの野望を示す効果。

ポールダノは傷ついた人生のドラマで、私たちの心を満たしてくれる。

★日本での公開

2019/7/5より、都内ではYEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館で上映予定。 関東圏では、千葉 シネマイクスピアリ、神奈川 kino cinema 横浜みなとみらい でも上映予定。 埼玉のすべての映画館は今作をスルーした模様で、どこも上映する予定はない。

今ならムビチケを手にし、お得に決め打ちできる
https://mvtk.jp/Film/067490

新宿武蔵野館は、毎週水曜日、男性も女性も、老いも若いも、みんな1000円。

暑さでへろへろであろう梅雨明けの7月に、ポールダノが豊潤に描く、崩壊する家族、傷ついた人生のドラマを観て心を鎮めたいものだ。

人生はハード、グッドライフは絵に描いた餅、魂の救済は映画を観る行為の中に。

 

日本でこれから公開される映画の海外レビュー :ピアッシング 2019/6/28 公開 村上龍原作

原文

https://www.google.co.jp/amp/s/www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/reviews/piercing-review-mia-wasikowska-nicolas-pesce-charistopher-abbott-horror-comedy-film-a8779016.html%3famp

ライター: Geoffrey Macnab
@TheIndyFilm

<嫌悪感とおもしろさの両方がこみ上げるスタイリッシュな*BDSMホラーコメディ>

(*BDSM(ビーディーエスエム): Bondage (ボンデージ)、Discipline(規律、抑制、忍耐)、SM(サディズムとマゾヒズム)の頭文字から構成され、嗜虐的な性的嗜好をひとまとめにして表現する言葉。縛ったり、縛られたり、首輪をつけたり、つけられたり、はソフトなところで、そのほかディープなあれこれが、BDSM で検索するといろいろ出てくる。)

ピアッシング(原題:Piercing)
監督 ニコラス・ペッシェ
クリストファー・アボット、オリビア・ボンド、ライア・コスタ、マリア・ディジア、マーリン・アイルランド、ダコタ・ラスティック、ミア・ワシコウスカ出演。
上映時間 81分。

http://piercing-movie.com

◆今作は本質的に両刀使いであり、そのことがミア・ワシコウスカ、クリストファー・アボットらの演者から、とてもクォーキーで魅力的なパフォーマンスを引き出している

ニコラスペッシェ監督の最新作は、嫌悪感とおかしさが交互にこみあげてくる、洒落ていてスタイリッシュなホラー・コメディだ。村上龍のカルト小説を脚本化し、ペッシェ監督はユーモアとグラン・ギニョール的なショック戦略の間をとったちょうどいいバランスで作品を仕上げている。今作は本質的に両刀使いであり、そのことがミア・ワシコウスカ、クリストファー・アボットらの演者から、とてもクォーキーで魅力的なパフォーマンスを引き出している。

◆アボット演じるリードは、テッド・バンディ(アメリカのシリアルキラー)を彷彿とさせる

アボット演じるリードは、テッド・バンディ(アメリカのシリアルキラー)を彷彿とさせるハンサムで若いビジネスマンだ。彼は精神病的な傾向があるが、しかし、その話しぶりはとても丁寧だ。リードは今作の早い段階で、生まれたてのこどもをアイスピックで攻撃してしまおうか逡巡する様子を見せる。そして彼が出張に行く際には、己の血への渇きをなんとか抑えるために、英語を話す娼婦を殺害しようと企てる。ミアワシコウスカ演じるジャッキーは、リードが雇う女性で、リード自身よりもさらにこじらせている。彼らはすぐに意気投合する。

◆いわゆる全英映像等級審査機構英国が述べるところの「強烈で血なまぐさい暴力」があふれている

ペッシェが描き出す映画の中のキャラクターたちは、とても闇深いところにいる。そこでは、いわゆる全英映像等級審査機構英国が述べるところの「強烈で血なまぐさい暴力」があふれている。リードとジャッキーはBDSMと自傷行為への不健康なまでの強迫観念を抱えている。しかし、殺しに興じたりお互いに拷問しあったりする行為の合間には、一緒にスープを飲んだりするひとときを欠かさない。

◆ベッドの上いっぱいに猟奇的な拷問器具を並べている

心配性なリードが、犯罪の構想を練りながら、服は着替えたほうがいいかな、飛び散った血をどうしようかな、などと念入りに思案している様子はなんだかコミカルだ。リードは、ホテルの部屋で大きな騒音を立てることにも、すまない気持ちでいっぱいなのだ。SMの世界では新入りである彼は、「あなたを縛っていい?」というセリフを、相手がやってくるまでの間、何度も何度も練習する。彼はベッドの上いっぱいに猟奇的な拷問器具を並べている。彼が殺人をシュミレーションして動きを練習している場面では、ペッシュはまるで実際に彼が誰かに危害を加えているかのようなサウンドエフェクト放り込む。

◆ワシコウスカに不思議ちゃんキャラクターを演じさせれば並ぶものはいない

ワシコウスカに不思議ちゃんキャラクターを演じさせれば並ぶものはいない。今作でもそうだ。今作で演じる彼女のキャラクターは、ディビッドクローネンバーグが手がけた退廃的ハリウッドへの風刺作品「Map to the stars」に出てくる傷ついた若い女性の、よりユーモラスでおどおどしたバージョンだ。

◆まるでシャイな若いカップル

リードとジャッキー、双方が入れ替わり立ち替わりで縛られ、暴力に曝される。本当に凄惨で気分が悪くなるシーンもいくつかある。しかし、決まっていつもコミカルな寸劇がその後に用意されている。彼らは傷つけ合うにしても助け合うにしても、モンスターという様子ではなく、まるでシャイな若いカップルのように振る舞う、音楽は一貫してアイロニックかつ飄々としている。タイトルクレジットでのアップビートなテーマソングは、1970年代のコップムービーのそれを彷彿とさせる。

◆今作が真にオリジナリティを発揮している部分

ピアッシングは、80分ちょっとのタイトな上映時間でありながら、その尺を存分に使い切っている。リードの幼少期の悪夢的なフラッシュバックや爬虫類が溶岩を這い上っている奇妙で超現実的なショットなどが放り込まれ、観客を飽きさせない。しかし、今作が真にオリジナリティを発揮しているのは、極めて商業主義的で軽めなスクリューボールコメディで用いられているような要素が用いられている部分である。その結果として今作は、そのストーリーラインから想像するよりもはるかに親しみやすく、娯楽的な映画となっている。

★日本での扱い

2019/6/28より、都内では新宿シネマカリテにて上映。

嗜虐プレイもの好きとしては、抑えておきたい一作。今年も熱帯夜が予想される夏のとば口に、猟奇的かつユーモラス、不快感とおかしみの交互浴に浸かるべく、観たい作品。

 

日本でこれから公開する映画の海外レビュー 勝手に訳してみた : ハーツ・ビート・ラウド 旅立ちのうた(2019年6月7日 公開予定)

ライター: Sheila O’Malley
原文: https://www.rogerebert.com/reviews/hearts-beat-loud-2018

◆「ハーツ・ビート・ラウド」の最大の魅力は、その控えめさだ。

ブレット・ヘイリー監督、マーク・バッシュが共同脚本を手がけた作品「ハーツ・ビート・ラウド」の最大の魅力は、その控えめさだ。感情の高まり、社会への意見、秀逸なプロットなどを義務付けられていないと思える映画は新鮮だ。

確かな実力を持ったキャスト陣によって魂を吹き込まれたシンプルな登場人物たちと共に、ささやかなシーンの数々がカジュアルに描かれている。演者や監督が、興味を持続させようとメッセージやカタルシスを押し付けてこないことは、観客のひとりとして安心して観ることができる部分だ。しかし、「ハーツ・ビート・ラウド」は、キャラクターたちが抱える問題に関して、ストーリーの中でもっと切実に描くことができたのではないかとも思わせる。

ニック・オファーマン演じるフランク・フィッシャーは男やもめで、マンハッタン近郊のレッド・フック(Red Hook)という地域でレコード屋を経営している。マンハッタンの喧騒から遠く離れた地域であるレッド・フックを訪れれば、今はなき工業地帯の雰囲気の倉庫、波止場、黄昏を味わうことができる。しかし、そこには再開発の風が吹いている。再開発というのは今作の主題ではないけれど、主人公の懸念事項として通底して流れているものだ。フランクはレッド・フックでレコード屋を経営して17年になる。トニ・コレット演じる大家のレズリーは、その店とフランクが好きなので、賃料の値上げをずっと据え置いてきた。しかし、フランクはついにレコード屋店舗を手放さなければいけなくなる。フランクは店のウインドウにこんなサインを掲げる、「エブリシング・マスト・ゴー”Everything Must Go”」(それは今作のタイトルとしてよりふさわしく、感情を喚起させるものだったようにも思える)。

キーズリー・クレモンス演じるフランクの娘のサムは、西海岸の大学へ通う準備として夏休みの間、医学部進学のためのクラスを受講している。彼女の人生において、いろんな意味で、ひとつの時代の終わりの時期。

フランクと彼の亡き妻がかつて一緒にバンドを組んでいたこともあり、ある日フランクはサムと即興のジャムセッションをはじめ、長い1日の終わりに曲を書き上げる。それは、家族が絆を深めるためのひとつの方法であった。しかし、すべての差し迫った状況の変化もあり、フランクは娘とバンドを結成する決意をする。娘のサムはとくにそれに乗り気ではなかったが、フランクはあまりに多くを手離した。娘を、手離したくないのだ。

◆物語は、父と娘がインディロックのシーンを駆け上がる、というような、予測できる方向へは向かわない。より静かで、より現実的だ。

「ハーツビートラウド」はぬるい温度で進むが、それは今作にとって功を奏している。フランクはレッド・フックにあるバーの、クスリをきめてラリってるオーナー(テッド・ダンソン)とつるんでいる。時々、レズリーと一緒にカラオケにも行く。

サムはアートギャラリーで働いている女の子(アメリカンハニーのSasha Lane)と会う。二人のロマンスは、時間が限られているゆえに、とても切実だ。フランクが、サムと一緒にレコーディングした曲をSpotifyにアップロードすると、それはささやかなヒットとなる。

フランクはサムに大学へ行くのを遅らせてはどうかと提案する。そうすれば、一緒にライブすることができる、と。物語は、父と娘がインディロックのシーンを駆け上がる、というような、予測できる方向へは向かわない。より静かで、より現実的だ。

クレモンスの演技は当然のように素晴らしいが、オファーマンが、うれしい驚きだ。これまで彼は大味なキャラクターを演じ、それはそれでよかったのだが、今作では、彼はより内向的で、喪失と悲しみを表情に刻印させて演じている。彼が娘のサムと話している場面で、彼の感情、娘への愛、孤独への恐れ、彼が表向きは表現できない全てのもの、その高まりを、観客は感じ取ることができる。再婚をしなかったフランクにとって、娘が彼にとっての全てだった。音楽について話す時だけ、彼は息を吹き返す。

フランクがサムの書いた歌詞を読んでいて、サムが誰かと恋に落ちていることに気づくシーンは美しい。「ガールフレンドがいるのかい?」とフランクはサムにきく。興奮気味に、関心深げに(その人の性的志向が、まったくイシューとして扱われないのは、とても新鮮だ)。
痛みと恐怖が、フランクに父と娘でバンドを組むアイデアへのこだわりを抱かせている。オファーマンは、キャラクターを自己憐憫やうぬぼれに溺れさせることなく、それを見事に表現している。

◆クレモンスの力強い声、二人の間のダイナミクス、彼らがお互いに抱く愛と感謝、彼らが共有する楽しさを伝えてフルで披露されるパフォーマンスで、観客はすっかりやられてしまうだろう。

キーガン・デウィット(Keegan DeWitt)によって作曲された2、3曲のオリジナル曲を含め、今作ではたくさんの音楽が使われている。オファーマンとクレモンスによって表現されるこれらの曲は、今作のテクスチャーの多くの部分を担っている。クレモンスの力強い声、二人の間のダイナミクス、彼らがお互いに抱く愛と感謝、彼らが共有する楽しさを伝えてフルで披露されるパフォーマンスで、観客はすっかりやられてしまうだろう。

今作のいくつかの部分には下書きのようなラフさが残っている。サムはたったひとつの医学部進学コースしか受けず、そのレクチャーは心臓についてで、そこでは恋に落ちることでいかに心拍数があがるかということが語られ、「オーケー、では心室について話そう」と展開される。医学部進学コースはかなり厳しく忙しいはずなのに、サムは父親とジャムセッションしガールフレンドと交流しといった具合で、無限の時間があるかのようだ。

テッド・ダンソンが出てくるシーンのいくつかはまるで無駄であるようにも思える。彼は、フランクの話し相手としてだけ存在しているキャラクターかのようだ。レズリーのキャラクターももっと掘り下げられただろう。トニコレットが、キャラクターに一定の深みを与えてはいるが。

そして、バンド活動のためにサムが大学へ行くのを遅らせるというフランクの提案は、それが実際に間違った考えであるということを掘り下げられていない。彼は文字通り彼女を「ひきとめて」いる!今作はフランクに対してあまりにイージーゴーイングで、興味深く追求の可能性のある感情を、未探求のままにしている。この映画のハートビートは、もっと強く鳴らすことができたであろう。

https://www.rogerebert.com/reviews/hearts-beat-loud-2018

★今作の日本での扱い
関東地方では、2019年6月7日より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、MOVIX三郷で公開される。

シネマカリテは毎週水曜が映画料金1000円。
ヒューマントラストシネマ渋谷はTCGグループで、TCGカードの割引がグッとくる。

アナログレコードを模した非売品ステッカー付きの劇場鑑賞券も上記の映画館で販売されている。ステッカー貼って、小躍りして映画館へGO。

「大切なものを手放して、前に進もう」という宣伝コピーでプロモーション。レビューサイトのRotten Tomato では92%を叩き出した、とか。
https://hblmovie.jp

マンハッタン近郊のレイドバックした雰囲気のレッドフックの気持ちいいバイブスを感じることができそうな今作。初夏の6月にキメこみたい映画だ。

 

日本でこれから公開する映画の海外サイトレビュー 勝手に訳してみた 「アメリカン・アニマルズ」 海外評価 (日本公開日 2019/5/17) ネタばれ

原文
https://www.news.com.au/entertainment/movies/new-movies/american-animals-a-truly-electrifying-movie/news-story/b2e7f64e899fa8fc3a383b9d32ff0145

文: Weniel Ma
October 22, 2018 2:41pm

アメリカン・アニマルズ:本当の意味で衝撃的な映画

◆ジャスティン・ビーバーも、インフルンサーという言葉の認知もなかった2004年、とある4人の中流の白人の大学生たちにとっては、特別であるということが何か別の意味を持っていた。

特別な人生を送るとは、どういうことか?

それは平穏でありふれた育ちへ反旗を翻すことか? 普通の仕事を、郊外の一軒家を、ステーションワゴンを、ジムのメンバーシップを突き返すことか? 武勇伝となるような、決定的に重要なことが自分に起こることを切望することか?

ある種の名声や悪評を追い求めてyoutubeやinstagramなどのソーシャルメディアに動画や写真をあげて己を晒し、自分は群れの中の一匹ではないと誰かに気づいてほしいと願う人は、年齢に関わらずとても多い。

ジャスティン・ビーバーも、インフルンサーという言葉の認知もなかった2004年、とある4人の中流の白人の大学生たちにとっては、特別であるということが何か別の意味を持っていた。「アメリカン・アニマルズ」では、彼らをめぐり、ぐいぐい観るものをひきこむストーリーが展開される。

実話をベースに作られた今作は、2018年にアメリカで公開された中でも最も印象的な作品の一つとなった。

◆本来ならば中止されるであろうクレイジーで成功しそうもないアイデアが、そうはならず、オーシャンズ11やノワール映画をみて学生が思いつくファンタジーのようなものとして始まったものが、突如、リアルになっていく。

古臭いウィッグ、オーバーサイズのトレンチコート、そして特殊メイクで変装し、彼らはケンタッキー州トランシルヴァニア大学の図書館の貴重な蔵書のコレクションを強奪する。その中には、ジョン・ジェームズ・オーデュボンの「アメリカの鳥類」の初版も含まれていた。

奪ったものの総額は、$750,000。

芸術科の学生であるスペンサー・レインハード(バリー・コーガン)は、自身のアート作品でも使用できる、モネやヴァン・ゴッホにもあったような、いわゆる「リアルな経験」を求めている。ヴァン・ゴッホが晩年に拳銃でそうしたように。スペンサーは人生に火をつけたいと思っていたが、具体的にはまだなにも決まっていなかった。

ある日、図書館を見て回っている時、スペンサーは貴重な蔵書と彼自身の間に立つのは、ひとりの孤独な司書しかいないということに気づく。彼はそれを友人のウォーレン・リップカ(エヴァン・ピーターズ)に話す。ウォーレンはスポーツ奨学金で大学に通い、現状に不満を抱いている学生だ。

その思いつきの一言が、18カ月にわたる入念な計画のはじまりとなった。アムステルダムで面接を行い、FBI志願であるエリック・ボーサック(Jared Abrahamson)とチャズ・アレン(Blake Jenner)も仲間入りした。

本来ならば中止されるであろうクレイジーで成功しそうもないアイデアが、そうはならず、オーシャンズ11やノワール映画をみて学生が思いつくファンタジーのようなものとして始まったものが、突如、リアルになっていく。

サスペンスに満ちた強盗のシークエンスは、俊敏なカメラの動き、スピード感のある編集、そして困惑と後悔を孕んだ素晴らしい演技によって、作り手の手応えが伝わるような出来栄えになっている。

◆本作は、ドラマとドキュメンタリーを統合させた、革新的なハイブリッドな形式であることで、より素晴らしいものとなっている。

監督は、The Imposter(2012)のブリット・バート・レイトン。「アメリカン・アニマルズ」はスリリングで、観る者をひきこむ映画であり、与えられたレール、特権に目を向けず、それを捨ててでもなにか特別なものになりたいという願望について、掘り下げて描いている。

もしレイトンが今作を純粋なドラマとして描いていたとしても、それは心に訴えかけるものがあり見応えのある作品になっていただろう。しかし、本作は、ドラマとドキュメンタリーを統合させた、革新的なハイブリッドな形式であることで、より素晴らしいものとなっている。

映画の中では、実際のレインハード、リップカ、ボーサックそしてアレンがカメラに向かって話す場面が差し込まれている。それは、ここで描かれているのは実際に起こったことであり、これらの人々がやったことなのだ、と、ストーリーにシリアスなアンダートーンを与えることに成功している。

しかしそれはただの事実の声明に終始するわけではない。レイトンはそれらの実在の人物を俳優のエヴァン・ピーターズが出ている場面に登場させる。車の中、エヴァン・ピーターズの横に実際のリップカが座っている。静かに、いかにして若い時の愚行が彼の未来を破壊してしまったかを熟考しながら。

そのように第四の壁を破壊することは、よくない方向に作品を変えていくこともあるテクニックだ。観客を映画の世界から引き離してしまう恐れがある。しかし、今作ではむしろ、観客を引きつける重力として機能している。それは、著作者が誰であるかということ、記憶や回想が孕む誤りというテーマに関して本作が取り組んだ実験であり、この映画はセンセーショナルにそれを成功させている。

レイトンはドキュメンタリーとドラマの間でのトランジションを天才的なスキルで成し遂げている。それは決して、テレビ番組「アメリカズ・モスト・ウォンテッド」の番外編エピソードのような印象を与えてはいない。

「アメリカン・アニマルズ」は普通とは違った種類の映画であり、本当の意味で衝撃的なストーリーを展開している。目的と意味がちゃんとあるということとストーリーテリングの形式が斬新であるということを両立しているのだ。

評価: ★★★★½

★今作の日本での扱い

日本では2019年5/17金曜から公開される。都内では新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷、Tジョイ品川などで上映予定。ゴールデンウィーク明けの暗い気持ちに、人生を破壊してでも特別になりたいという願望、を掘り下げたとされるこの映画を観て、なんとか生きのばしたいものだ。

http://www.phantom-film.com/americananimals/sp/

 

笑えて、最後には背筋が凍る。スパイク・リーの鉄拳制裁! ブラッククランズマン/BlacKkKlamsman を観てきたぞ!その感想。

つい先日、星野みちるラジオの最終回に、リスナーとして電話出演する機会があった。

星野みちると話すのはとても緊張し、それでいて、なんだか距離が近くなったような錯覚を覚えた。

声と声。声を頼りに相手の表情を想像するそのコミュニケーションは、親密でありえるが、こちらと向こう側がどういう状態か全くわからないという中で行われるものでもある。

そこには誤解、勘違いが生まれ得る。

電話を介して、黒人警察官とKKKがコミュニケーションを重ね覆面捜査が行われた話で、しかもそれは実話ベースであるという、そんな映画があるとか。

しかも、監督はあのスパイクリー。

これは観なければ! と、渋谷シネクイントにて観てきた。

◆ スタッフ、基本的な情報

監督はDo the right thing(1987)、マルコムX(1992)などで、映画史におけるブラックムービーの礎を築いてきたスパイク・リー。2014年にロンストールワースが自身の体験を基に書いた本をベースに、スパイク・リー、ケビン・ウィルモット、ディビッド・ラビノウィッツらによって脚本が手がけられている。デンゼルワシントンの息子であるジョン・ デイビッド・ワシントン、アダム・ドライバー、トファー・グレイス、コーリー・ホーキンズ、ローラ・ハリアー、ヤスペル・ペーコネン、アシュリー・アトキンソン、ポール・ウォルター・ハウザーらが出演。

ゲットアウト(2016)のジョーダン・ピールがもともと映画化の権利をもっていたが、自身は製作に回り、スパイクリーにこそ撮られるべきだ!と監督を託し、プロジェクトを進めて行ったという。

この間のアカデミー賞では、6部門ノミネートし、脚色賞を受賞した。

◆あらすじ

マイノリティ歓迎というふれこみのコロラドスプリングスの警察署。そこにやってきた、ロン・ストールワース。見た目はアフロヘアーの70s典型的な黒人青年。警官になる面接を受けるが、言葉遣いはしっかりしてて、品格もある。採用。記録室という所に配属されるが、つまんないし、同僚の白人警官のいやがらせもあり、配属を変えて、覆面調査をやらせてくれ、とチーフへお願いする。最初は断られるも、夜勤明け、チーフから電話がかかってくる。

念願の覆面捜査の内容は、黒人のクワメ・トゥーレというカリスマがスピーチする集会への潜入だ。隠しマイクをつけ、会場へ潜入するロン。覆面操作チームとしては、実はユダヤ系の、アダムドライバー演じるフリップ・ジマーマンら。潜入会場で出会う、黒人解放運動の団体の会長を務める、ローラハリアー演じるパトリス。その女性に、捜査を超えた感情も抱くロン。その覆面捜査を経て、ロンは正式に情報部に配属となる。

ロンが何気なく新聞を読んでいると、ある広告を目にする。KKKの問い合わせ窓口が記載されている。ロンは、その番号へ電話し、俺は「ニガーもユダヤ人もみんな嫌いなんだ、なかでもニガーは大嫌いだ」と電話口で差別的な白人を演じ、見事に相手を騙す!そこを糸口として、電話はロン自身、KKKへの実際の潜入はフリップがロンの名前を名乗って(本名をロンが電話で言っちゃったから)行うことに。黒人がKKKの会員となる「ブラッククランズマン」の誕生。前代未聞の覆面操作の行方はいかに…。

◆こんな覆面捜査もの、おもしろくないわけがない

まず、警官の覆面捜査ジャンルものとして、こんなのみたことない! 面白い!という、痛快なブラックジョーク満載の、スパイクリー節が炸裂している最高のエンタメ作品。タイトルロゴもかっこいい。

黒人の警官が、黒人含む世の中のマイノリティをすべて差別する勢いのKKKの内部に覆面捜査というんだから、それはドキドキワクワク、楽しい。そして、映し出される、KKKのやつらの底なしの愚かさ、バカさ。

しかし、笑えて楽しい映画なんだが、笑い飛ばせない怖さがある。それはやはり、これは実際にあったことに基づいており、KKKはいまもあり、現在のアメリカで起きている事と密接に関係しており、あまりにも馬鹿げた発言や行動も、それと似たようなことをする輩が、実際に今でもいるからだ。

圧倒的に面白いエンタメでありながら、観た者それぞれが打ちひしがれざるえなくなってしまうパワーに満ちている。

◆バディ・ムービー。

演者はおしなべて最高。ジョン・ディビッド・ワシントンとアダム・ドライバーの2人のバディ感はいつまでも観ていたくなるナイスなグルーヴ感。やっぱりアダムドライバーはいいなぁ、画面映りいいなぁ、さすがだな、という感じだし、デンゼルワシントンの息子、ジョンデビッドワシントン、ちゃんと映画で見たのははじめてだが、育ちの良さを感じさせる品があってストリートなノリもあっての存在感を発揮していた。

2人の所属するコロラドスプリング警察署の情報部チームの面々の部室ノリ、いい奴らっぷりもとてもよかった。KKKへの覆面潜入というシリアスで緊迫感のあるミッションを、KKKのやつら鼻を明かしてやる!といった気概で、ぐいぐい観るものひきつけながら展開していく。

警察署の中にいる差別的な問題行動をとる白人警官を、みんなで画策してとっちめてやるくだりなんか、よかった。差別、偏見、ひどい人たちの行動、発言がありながらも、このコロラドスプリングの情報部チームの暖かさ、いいやつら感が救い。

◆狂気のフェリックス

KKKのメンバーの中でもとりわけ狂気を体現していた、フィンランド出身のヤスペル・ペーコネン演じるフェリックス。画面に出てくるたび、なにかしでかすんじゃないか、ハラハラする。

彼が「ホロコーストは、嘘だと思っている」、って言っていたところは、何言ってんだバカだなぁ、と笑い飛ばせず。なぜなら、日本で、実際に最近、同じことをマジで言っている著名人がいたから。

こういう狂った悪い役を説得力もって演じるのはすごいことだし、映画のインパクトにとても貢献している。

◆狂気のアイヴァンホー

また、KKKメンバーの中でもうひとりのエクストリームに狂った存在であるアイヴァンホーを演じていた、ポール・ウォルター・ハウザー。彼は昨年公開のアイ, トーニャでも、印象的な狂人を演じていた。今作は当て振りの役かと思うくらい、ハマり役。

ハングオーバーシリーズの、あのザック・ガリフィアナキスにも通じる、人間核弾頭じみた破壊力があった。

◆デビットデューク

アメリカの歴史の上でも最悪の人物とも言われるKKKのリーダー、デビッドデューク。トファーグレイスが、礼儀正しさを装っているが実質的には最悪のレイシストを、よく体現していた。彼の使っていたフレーズ、アメリカファースト!どっかで聴いたことがあるなぁ、と思い、ゾッとした。

なんとかを取り戻すとか、なんとかファーストとか、そういうのを声高に叫ぶ人にはロクな人がいない。

◾いやな狙撃場面

KKKに潜入しているフリップとKKKのメンバーたちが射撃に興じる場面がある。

KKKたちが射撃に興じていて、その後、なにを打っていたのかカメラがぐーっと向きを変えた時にわかる。そこに写っていたのは…

これも、実際に行われていたことなのだろうか。なんて胸糞悪い。

本当にいやな狙撃の遊びを映し出した場面だ。

◆最低最悪の応援上映

ハリー・ベラフォンテが、黒人たちの集会で語る1916年にテキサス州ウェイコで実際に起こった悲惨なリンチ事件。そこでおこなわれた、耳を疑うような、悲惨で、非人道的な所業に怒りと悲しみがこみ上げる。

その一方で、KKKのメンバーたちが「國民の創生」を、熱狂しながら観ているシーンが差し込まれる。「國民の創生」とは1915年に作られ、大ヒットになった映画。原題はThe Birth of a Nation。南北戦争での南部軍の残党がKKKになり黒人たちをリンチしていく様を描いた映画。

「国民の創生」が上映された翌年に起きた惨劇が語られる様子とカットバックで映し出される、KKKの連中の世にもおぞましい「国民の創生」の応援上映。

その対照的な2つの場面が交互に映し出されていく展開の鮮烈さ、衝撃は、ものすごいものがあった。

◆70年代という時代

70年代が舞台の映画ということで、ロンとパトリスのデート場面では2人はブラックスプロイテーション映画のスターの話してる。ブラックスプロイテーションは70年代に作られた黒人が主人公の商業主義的ジャンル映画。 コフィーって映画のパムグレアの話とかしてる。

音楽も70sを感じさせる。ディスコクラブのようなところでかかる、The Cornellius BrothersのToo Late to Turn Back nowなんて、いい感じ。


Too late to turn back now

70年代の意匠がちりばめられた、70年代が舞台の話なのだが、そこで描かれ取り上げられる問題が現在と地続きであり、いかに70年代と現在とで共通する社会的問題があるかということを突きつけられる。

◆実際に起きたこと

ラストに、フィクションでありながら、その次元を超えて、実際に起きたことのその映像を映し出す。

2017年、8/12アメリカのバージニア州で起きた惨劇。本編で起きたようなことは、リアルに今でも起こってるんだぜ、という提示に戦慄。

◆で、どうなのかこの映画

笑えて、最後には背筋が凍る。製作のジョーダンピールのまさに意図した通り、なぜスパイクリーが今作を撮ったかという必然が随所から感じられる作品。フィクションであり、ドキュメンタリー。ドキュメンタリーとしての力を持ったフィクション。怒りとメッセージに満ちていながら、映画としてのテンポの良さ、スタイリッシュさ、面白さも兼ね備えているのが流石。スパイク・リーの鉄拳制裁!


オスカー受賞でのスパイクリーの痛快スピーチ

魂の救済は映画を観る行為の中に!

 

日本でこれから公開する映画の、海外サイトのレビューを勝手に訳してみた 「魂のゆくえ」海外評価 (2019/4/12公開)

原文
https://www.theguardian.com/film/2018/jul/12/first-reformed-review-ethan-hawke-paul-schrader-amanda-seyfried

星 4/5

イーサンホークがポールシュレイダーのスピリチュアルなアポカリプスと向き合う—ホークがガン、アルコール、トラウマの記憶に苦しんだ聖職者を演じる。シュレイダーの容赦ないドラマで。

文:ピーター・ブラッドショウ(Peter Bradshaw)

●シュレイダーが脚本を手がけたスコセッシの1976年のクラシック、「タクシードライバー」との類似性は確実に意図的だ

ポールシュレイダーによるパワフルな新しいドラマ「魂のゆくえ」は、映画の形態でのシェーカー家具(Shaker furniture)である。スタークでいて簡素、厳格でセンスの良いインテリジェンスに基づいて美しく構築されている。それに座るのではなく、それを眺めることを想定して作られているが。

この映画は、マン オブ ゴッドについての映画で、そして、そのパーソナルでスピリチュアルな苦悩についてでもあり、世紀末的なクライマックスへと高まっていく。シュレーダーは今作を Pawel Pawlikowkiのオスカー受賞作「Ida」にインスパイアされていると語っている。しかし、私は今作はむしろ、イングマール・ベルイマンのWinter LightをTravis Bickleを主役にしてリメイクしたものに思える。

シュレイダーが脚本を手がけたスコセッシの1976年のクラシック、「タクシードライバー」との類似性は確実に意図的だ。胃がん、アルコール中毒に苦しんでいる聖職者が、ウィスキーにショッキングピンクのPepto Bismolを少量注ぎ、 ウイスキーの中に不快でどろっとしたなにかが広がっていくのを見つめるシーンは、おぞましく印象的だ。それは、タクシードライバーでトラビスがタクシー運転手としてニューヨークの汚れて犯罪に満ちたストリートを巡回する仕事の休憩中に、グラスの中で泡立つアルカセルツァーを近寄って見つめていたシーンととても似ている。

●彼は今 、夜な夜な激しく酒を飲み、テレビのない殺風景なアパートで終わりのない魂の暗闇の中にいる。放尿する際にはクソみたいな痛みが伴う。

「魂のゆくえ」における中心人物となる聖職者はアーネスト・トーラー牧師であり( 1939年に亡命中に自殺したドイツの劇作家を仄めかしている)揺るぎない信念を込めて、イーサン・ホークによって演じられている。彼はシリアスで、規律正しく、激しく自己批判的だ。彼は決して聖職者のドレスを脱がずいつも厳しい表情を浮かべている、彼の最初の聖餐式で施したと思われる、独特なヘアカットで。

彼は、シュレイダーと同じくプロテスタントであり、マルティン・ルターの「神はわがやぐら」についていくつかの強いジョークを飛ばしている。 罪の意識への没頭、トーラーの自身の美的イメージには、確実にカトリック的なものがあるけれども。

トーラーは軍隊と愛国心が伝統的に強い家庭で育ち、とても好感を持たれた聖職者だ。彼は自分の息子に、妻の反対を受けながらも、軍隊に志願するように推奨する。妻はもう彼を置いて去ってしまった。6ヶ月後、息子はイラクで戦死する。トーラーはその戦争を、本当に無益で馬鹿げたものだったと、今では考えている。

彼は今 、夜な夜な激しく酒を飲み、テレビのない殺風景なアパートで終わりのない魂の暗闇の中にいる。放尿する際にはクソみたいな痛みが伴う。しかし、小さいながらも献身的な彼の教会の集会では、いたってまともな様子を見せる。

トーラーは美しく伝統的な、ニューヨーク北部にあるFirst Reformed教会の牧師だ。しかし、その役職は一種の名誉職で、ツーリスト・アトラクションに似たものであるのは明らかだ。セドリック・カイル演じるジョエル・ジェファーズ牧師によって運営されるより巨大な教会の管理下にある。セドリック・カイルは スタンダップコメディアンとしてよりよく知られている俳優だ。

トーラーはかなりあけすけに不安の主体となっている。ジェファーズが実際的には、トーラーの牧師としてのケアの責任があるが、彼は不安である以上に、苛立っている。またトーラーは世俗のセラピーグループへ通うが、カトリックをナショナリズムと分離しようとする弱腰な試みは、彼自身を容赦のない極右の生徒からの攻撃に晒すことになる。

●この映画の徹底した厳格さは、グラス一杯の冷たい水のように、鮮烈で瑞々しい。

トーラーの苦悩の最終的な引き金となるのは、ある教区民からのリクエストだ。 その教区民の名はメアリー。アマンダ・セイフィールドによって演じられている。 彼女は、トーラーに、絶望の最中にある彼女のパートナーのマイケル(フィリップ・エッティンガー)と話してほしいとお願いする。

マイケルは平和的なプロテスト活動のために投獄された経験のある、環境活動家だ。彼は、メアリーがが妊娠しているという事実によって、危機の最中にある。彼らには、人間性が高慢さで失われてしまっているこの世の中に、子どもを送り出す権利があるだろうか?

マイケルの攻撃的な情熱がトーラーの中に眠っていたものを呼び起こす。それは、悪徳な環境破壊オイルカンパニーが、トーラーの教会のスポンサーであるということがわかり、更に高まっていく。

この映画の徹底した厳格さは、グラス一杯の冷たい水のように、鮮烈で瑞々しい。アレキサンダー・ダイナンによって撮影され、グレース・ユンによってデザインされた画面のその色合いはとても抑制されており、モノクロームに思えるほどだ。

シャープに嘘偽りなく無愛想な対話をクローズアップで映し出す抑制され、衒いのない構図が、厳しい調子で語られるナレーションと交互に展開していく。

それは、トーラーが数十年ぶりに自転車に乗る時に立ち現れる、痛切なまでにイノセントで、幼稚ですらある喜び、その感情の高まりの瞬間の感動を、より際立たせている。

●「魂のゆくえ」は情熱的かつ意欲的な映画だ。

そして、メアリーがある種の親密さをトーラーに求めて現れるシーンは、クラクラするほどに異常で幻覚的な印象を与える。そのシーンは、通常のリアリズムの重力を破壊してしまう。

「魂のゆくえ」は情熱的かつ意欲的な映画だ。しかしエンディングを確定させることのできていない不能において、欠点があり、マスターピースとは言えない。

そこにはいくばくかの不条理が感じられ、私はシュレイダーが締め切りに苦しめられていたのではないだろうか、と思う。しかし、それは、制作の獰猛さにはついて回るものであり、払う価値のある苦悩だ。